都市開発にかける人たち Vol.4

江東区・白河三丁目地区第一種市街地再開発事業「イーストコモンズ清澄白河」(フロントタワー)

イーストコモンズ清澄白河

老朽化、そして建替へ

白河三丁目地区は江東区の北西部、清洲橋通りと三ツ目通りの交差部に位置しており、清澄白河駅(東京メトロ及び都営大江戸線)、菊川駅(都営新宿線)から徒歩圏内にあり、都心への利便性が高いエリアである。当地区には1927年竣工の「同潤会清砂通アパート」(通称・東大工町アパート)」があった。各地にある同潤会アパートの中でも最大規模である16棟、663戸。当地区には1〜4号棟があり、三つ目通りを挟んで残りの12棟があった。いずれも1980年代後半には老朽化が著しくなり、建替えをすることが切に望まれていた。

同潤会アパートとは
関東大震災後の復興を目的として設立された「財団法人同潤会」により建設された集合住宅。1925(大正15)年から1934(昭和9)年までの間に東京・横浜エリアで交通の便の良い16地域に建設される。当初は賃貸住宅で、戦後東京都より住民に払い下げられた。建物の構造は、耐震耐火を目指した鉄筋コンクリート造・三階建てを基本とし、快適で合理性を追求した間取りや水回りといった生活空間は、都市における理想的な住宅として当時、熱烈な支持を受けたそうだ。都会に暮らす人々の生活の場として、また日本の近代建築史の記念碑的存在として生き続けた同潤会アパートは、1980年代から次々と解体・開発され、当時のまま現存するものは三ノ輪と上野下のみとなっている。
東京大空襲(1945年3月10日)の時の様子
地権者の方の中には東京大空襲を清砂通アパートで経験した方もいて、その時の話を伺った。建物は鉄筋コンクリート造だったので、壁は剥げ落ちたが躯体は残った。耐久性があり、住民にとって頼りになる建物であったそうである。覚悟を決めて人が残った家では、上部が網入りガラスの鉄製の重厚な玄関や、その当時では珍しく完全上下水道で水を確保できたため、座布団を水で浸して窓の木枠を目張りしたおかげで部屋の中に火が入らず助かった。終戦を迎え、帰ってきたら自分の家に他の人が住んでいたことなどは、珍しくなかったそうだ。

12年という歳月が語るもの

1993年5月、同潤会清砂通アパート建替えのための準備組合事務局が開設される。この時より当事業を担当し、2005年2月に竣工を迎えるまでの12年間、ずっとこの街の人々とともに未来を見つめてきた男がいた。大成建設・都市開発本部都市再開発部の松田好雄である。松田は再開発組合に派遣され、参加組合員の財団法人首都圏不燃建築公社をはじめ、地権者、各事業協力者、行政関係者とともにこの事業を推進し、全員同意型の再開発を実現させた。

当再開発は途中から2つの組合(1〜4号棟地区と5〜16号棟地区)に分かれたが、事務局はそれまでの経緯もあり分かれず、2組合の事業を1事務局体制で進めた。両地区の権利者数は約800名。1事務局で扱った権利者数では、最大級である。権利者数が多いことに加え一人では決められない高齢者も多く、節目ごとの同意形成は夜間や休日出勤等で対応した。12年の長きにわたる再生はこうして生まれた。2002年5月に既存建物解体工事が開始されるが、その姿を惜しむ人々も多かったようである。当時の先進的な技術とモダンリビングを兼ね備えた価値ある建物であったことが偲ばれる。

新しい街・新しい生活のスタート

同潤会旧1号館の円筒形の階段室上部に屋上パーゴラが載る独特の景観は、清砂のシンボルとして親しまれてきたが、そのイメージは低層棟ファサードに引き継がれ、「記憶の伝承」となった。外構部分には、旧1号館の特徴でもあったアールヌーボー風の階段の手すりを埋め込んだモニュメントや中庭にあったライオンの噴水などが再現された。低層棟のビオトープを含むオーナーズガーデンは、同潤会アパートの人々が集った中庭を思わせる。

良質な住宅と福祉施設との複合開発を目指すまちづくり基本方針のもと、建設された建物は高層棟と低層棟からなる。1階にはドラッグストア、コンビニエンスストア、権利者店舗等と白河三丁目町会会館、2階には江東区の高齢者在宅サービスセンターとテナント施設としての医療モール、3階には深川保健相談所、そして4〜31階が住宅となった。32階には展望ラウンジ・ゲストルームとともに屋上庭園が配置され、今後住民のコミュニティスペースとなるに違いない。ペット飼育も可で、ペットとの同居には様々な工夫が施され、また動物が苦手な人への配慮もなされている。また駐輪場にはレンタサイクルを設置、駐輪車両の数を減らすしくみをつくっている。

竣工を迎え、続々と入居者の引越しが始まった。これからここでどのような人々の暮らしがスタートするのだろうか。松田は、これまで自分が携わってきた関係者のことを思い浮かべると、熱い気持ちが込み上げてくるのであった。

竣工を迎えて・・・
大成建設 都市開発本部都市再開発部 松田好雄

権利者には高齢の方が多く、また従前資産額が小さいという特徴がありました。その方々にできるだけ多く残っていただけるように事業のしくみを考え進めてきました。竣工を迎え、権利者の多くの方々が新しい生活を始められたことを大変嬉しく思っています。

今後、大規模な集合住宅の建替え等の再開発が多くなると思いますが、歴史のある集合住宅、地域には管理組合、自治会等の組織が整備されているでしょうから、これらの組織と協力し合い事業を進めていくことで効率的な運営ができると思います。当地区の場合は各号館より選出された再開発組合役員のご協力で効率的に行うことができました。







再開発を振り返って(文中敬称略)
—岩崎 最初は全然方向性がなく始まったが、最終的には「福祉型」を目標に定めました。地域の方々にも喜ばれるものとなったと思います。
—山澤 やはり住民の皆さんを引っ張っていくのが大変でした。高齢者の方々からは、想い出もいっぱいあるので今の古い建物のままでいいんですよ、といわれることが多く、それがちょっと辛かったですね。
—濱中 号館ごと、階段ごとに役員を出し、その役員が各自責任持って説得して廻るくしくみがあったことでうまくいきました。なかには意見の食い違いや口論もあって苦労もしましたけど。
—藤田 全員同意型を目指したのがよかったね。役員だけが勝手にやっているのは嫌だったので、出来るだけ多くの意見を出してもらって、その意見を会議の場に持ち寄るようにしました。
—濱中 それぞれの局面ごとに住民にアンケートをとりましたよね。
—藤田 旧1号館と2号館の間に半円の池や藤棚があったことから、アンケートには庭園を造ってほしいという意見があり、低層棟部分に水を配したビオトープを計画しました。気軽にみんなが集まれるような人付き合いを促す空間がほしかったので、屋上庭園も造りました。そうすれば、低層階に住む人もエレベーターで上へ移動するだろうし、住民間でコミュニケーションする場面も増えるだろうと。

新たな交流に向けて
—山澤 入居が始まって初めて会う人も多いのですが、エレベーターや廊下等で挨拶や会話をしてほしいですね。知らん振りではやはり寂しい。
—濱中 私も同感です。挨拶が交流のきっかけになる。
—藤田 私も積極的に挨拶しています。「再開発はまちづくり」。ハードは整ったが、本当の中身づくりには3年かかる。そこで再開発組合の役員の中から何人かの方には、管理組合にも役員として参加してもらえるようお願いしました。
—岩崎 住宅266戸中3分の2が新しい世帯なので、その方たちを誘い入れて、いろんな形で交流していきたい。
—藤田 新しい住民の方を誘い入れるきっかけに何かないかと思っていたら、今年は富岡八幡宮「深川八幡祭り」の3年に一度の本祭り(8月開催)が行われる年だったんです。
—濱中 「公園デビュー」ならぬ、新住民の「お祭りデビュー」(笑)。これをきっかけにして新しい住民の方との交流を始めたいものです。
—山澤 白河地区に子どもが増える予定なので、今から楽しみ。
—藤田 町会会館が地権者になったことと、岩崎理事長が町会の会長であったことが幸いし、周辺とのトラブルは少なかった方だと思います。その御礼の意味も含めて白河三丁目町会に子ども神輿を寄贈しました。子どもは順応性があるので、子どもが参加することで自然に大人も楽しめるようになれば。今から8月の本祭りが楽しみです。

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