都市開発にかける人たち Vol.2

高松シンボルタワー

「高松が素通りの街になってしまう———。」
そして皆が立ち上がった。

1988年(昭和63年)に開通した、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋。10年後には明石海峡大橋も開通。また、高松と松山・高知・徳島を結ぶ高速道路網が、近年、急速に整備され、四国内での移動が便利になった。
これら大動脈は、当初、四国と本州の絆を深め、高松に観光客とビジネスをもたらすと期待されていた。しかし蓋を開けてみれば、瀬戸大橋の開通に伴う宇高連絡船廃止で高松の玄関口としての役割と港湾機能は奪われ、列車も車もそして人々も、全て高松を「素通り」。瀬戸大橋や明石海峡大橋を渡り、買い物や通勤に、高松や四国の人々が岡山や神戸に流れ出ていく。

「これではまずい‥‥。何とかしなくては‥‥。」

高松市民の誰もがそう感じ、香川県も危機感を募らせた。このままでは、香川県都であり四国の顔であった高松が、ただの「素通りの街」になってしまう‥‥。

これを受けて、香川県と高松市がイニシアチブを取り、民間企業が加わって、高松に拠点機能を取り戻すプロジェクトが始まった。 「サンポート高松」計画。JR高松駅・高松港・駅前広場等を整備し、業務・商業等の機能を集積、国際化・情報化に対応した新しい街づくりを行っていく。その中心に、香川県と高松市の中核=シンボルとなる施設として、「高松シンボルタワー」を開発することになった。
1999年(平成11年)、香川県と高松市が主催する高松シンボルタワーの事業計画提案競技(事業コンペ)にて、大成建設が参画するコンソーシアム住友商事グループが事業実施予定者として選ばれる。総事業費は約400億円。事業主は、香川県、高松市、そして、大成建設を筆頭株主とし志を同じくする地元香川の有力企業計20数社の出資からなる新会社「シンボルタワー開発(株)」。高松市や香川県のみならず、四国全体にとっても、かつて経験したことのない巨大な官民共同プロジェクトである。官民複合施設をつくるというよりも、「官民共同の街づくり」と呼ぶに相応しい。

こうして、官と民の「運命共同体」が動き始めた。

大成の経験と実績が牽引力となって

思いを一つにして始まった官民共同事業とはいえ、立場の違いから、ほどなく思わぬハードルにぶち当たる。

最も大きな違いは、意思決定のプロセスだった。行政は、議会承認後、すべての過程において、県民・市民に対し事前に十分な手続きを経てからスタートする責任がある。一方、民間側は利益を得ることが至上命題であるため、時間の経過は、ある意味致命傷になりかねない。この両者の溝を埋めるのは、単純ではなかった。これといった決定打も出ないまま、時間だけが過ぎていった。

そうしたなかで、ほぼ当初の予定どおり2004年3月にオープンを迎えることができた背景には何があったのか。

シンボルタワー開発(株)のメンバーである大成建設から、同社のこれまでの官民その他多数のプロジェクトの経験に裏打ちされた、ユニークで合理的かつ説得力ある提案がなされた。
例えば集客の仕掛けがそうだ。日本初となる「料理の三鉄人」を集めた展望レストランをつくる。讃岐うどんの高松に敢えて全国の有名ラーメン店を集めるetc.。また、施設全体で長期安定の運営ができるにはどうすればよいか。高松の経済ポテンシャルを捉えもっとも適正な施設規模を算出すること、施設のレイアウトを工夫し人の動線を確保して、賑わいの連続性と建物管理の効率を高めること等々。

プロジェクトの進行に伴い、大成建設の数々の実績に基づく具体的なアイデアが、メンバーの意見を束ね、確実に一歩一歩、夢をカタチにつくり上げていった。

「熱い」男たちがいた

しかし、それだけではない。
もっとも大きな要因は、このシンボルタワーを何としても完成させて高松に元気を取り戻す、という熱い思いをもった男たちがいたことであった。「我々はもう後戻りできない。どんな困難が待ち受けていようとも、かつて賑わったあの日の高松を取り戻したいという思いは変わらない。進むしかないのだ!」。このプロジェクトには、こうした熱い情熱の持ち主たちがいた。
もちろん、大成建設もこの「熱い」一員だ。

大成建設は先の事業コンペにおいて、当初から積極的に東京や地元の企業を回り、プロジェクトの必要性と可能性を説き共同参加を呼びかけた。直接会って参画を働きかけた民間企業の数は優に100社を上回る。そうした努力が実を結び、コンペの際には20数社の企業が大成建設とチームを組むに至ったのである。この数は、コンペに応募した他グループを圧倒する。

大成建設は、地元企業ではない。しかし、高松の再生を賭けて、地元の人たちに溶け込み、地元の人に学び、地元の人たちと共に将来の高松を熱く語り合った。大成建設の全国での実績や経験に基づく意見が、地元の人たちに街づくりへの希望と自信をもたらした。大成建設は、ゼネコンとしてではなく街づくりの良きパートナーとして、このプロジェクトの当初から今日に至るまで、関わった人々が勇気を持つきっかけを、高松が元気を取り戻すきっかけを、つくってきた。

オープン、そしてこれから

2004年(平成16年)2月、高松シンボルタワーが竣工、6月には、高松シンボルタワーが無事グランドオープンを迎えた。民間施設の商業床は100%、業務床もほぼ100%のテナント入居を実現した。

その後、公共施設、民間施設とも順調に運営されている。「高松拉麺(ラーメン)築港」は休日ともなると長蛇の列、三鉄人のレストランもいずれも予約でいっぱいだ。市の大・小三つのホールも好評、県の「かがわプラザ」やPFI施設「情報通信交流館 e-とぴあ・かがわ」も人で溢れている。
注視すべきはむしろ今後の運営状況だ。運営を担うシンボルタワー開発(株)は、話題性の高いイベントの実施により集客効果を上げ、効果的なテナント管理を行う等、有効な販促戦略をつねに編み出していかねばならない。

大成建設は、シンボルタワー開発(株)の最大出資者であり、これからも引き続き、この高松シンボルタワーを盛り上げていくことになる。サンポート高松のみならず、四国全体の経済・文化の牽引力として、この場所から「元気な高松」を発信し続ける。



当開発で高松シンボルタワーのハードの整備は完成しました。しかしサンポート地区全体では、まだまだ発展途上。今後はハードの整備と併せて運用面が課題です。皆さんから知恵をいただき、魅力づけをして、さらに賑わいをつくっていきたいと思います。

民間と行政がタッグを組むのは難しい面もありましたが、今は達成感でいっぱいです。魅力的な官民の複合施設が誕生しました。日々沢山のお客様をお迎えしています。今後は、近隣の丸亀地区等旧市街地との相乗効果を期待したいと思います。

サンポート地区は当社の発祥の地。何か人に喜んでもらえるものをつくりたかった当社としては、良いものができたと満足しています。高松シンボルタワーをきっかけに、高松を再び四国の玄関口として盛り上げたいと考えています。

※高松商運(株)はシンボルタワー開発(株)の出資者

企画当初、協議が難航して方向性を一つにするのは大変でしたね。でも、メンバーに共通していたのが、自分たちの街を良くしたいという愛情でした。今後は、サンポート地区の周辺まで含めた大きな視点で捉えていきたいです。

※(株)カナックはシンボルタワー開発(株)の出資者

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