都市開発にかける人たち Vol.11

御茶ノ水ソラシティ

御茶ノ水ソラシティ

歴史と文化の街「御茶ノ水」

御茶ノ水ソラシティ

 JR御茶ノ水駅聖橋口。この地域には、江戸時代からの名所や歴史的な景観が多く残り、都心部とは思えない豊かな雰囲気を持つ。神田川は江戸時代初期に掘削された人工河川であるが、かつて茗渓と称された眺めは、現在でもその深みと両岸の緑が印象的な景観を維持している。神田川の北側には、江戸時代に作られた神田明神、湯島聖堂、南側には明治時代に建てられたニコライ堂があり、伝統的な建築と周囲の豊かな緑が街に静けさと潤いを与えている。また、神田川に架かる優雅なアーチ型の聖橋も有名だ。

 そんな御茶ノ水駅前に日立製作所の本社が完成したのが1983年。この土地も、明治時代には三菱社の2代目社長、岩崎弥之助の邸宅があった場所であり、敷地南西側には当時の石垣が今も残り、歴史を感じさせる場所である。

 2006年、日立製作所が移転した後、ビルの再開発計画が持ち上がった。大成建設は、当初から計画検討に関与することとなった。

 大成建設 開発事業部(当時)の中村正明は当初から担当として本プロジェクトに携わってきた。「現地を歩き回ってみて、東京都心に至近でありながら、緑が多く歴史を感じさせるような土地柄に大きな興味を持ちました。まだ再開発計画のイメージはありませんでしたが、これらの地域特性との共存がもっとも重要な要素であると感じました。」

地域の想いを読み取る

山村貴晴

 2007年、本格的に計画を開始するにあたり、まずは地域の声、ニーズを把握することに注力した。これまでになかった駅前の大型開発であることから、周辺地域にはどのような開発となるのか半信半疑、勝手な計画は許さないという雰囲気があった。

 「最初は御茶ノ水についてほとんど何も知らないところから始まった」と話すのが、都市開発本部副本部長の山村貴晴。「開発にあたり、まず行ったのが、地域の人々の思いを読み取ることです。「神田駿河台地域まちづくり協議会」をはじめとした地域の団体に参加するほか、町会長など約10人の昔から地元にお住まいの方を一人一人訪問し、この土地の歴史や子どもの頃の想い出をヒアリングしました。また、神田明神や太田姫稲荷神社では祭礼への協力の可能性を探ったり、千代田区ゆかりの学識経験者に、景観に関する意見を聞いたり。淡路町二丁目西部地区市街地再開発組合とも、かなり早い段階から話し合いを重ねてきました。」(山村)

地域と調和した都市環境を提案 〜緑・賑わい・歴史〜

保存樹木 明治時代の石垣 中村正明

 地域の方々や千代田区から丁寧に話を聞くことで、地域の課題や要望などが具体的に見えてきた。JR駅前の狭小空間の改善と安全性の確保、JRや地下鉄の駅のバリアフリー化、駅から淡路町方面へのアクセス改善、歩行者空間の環境改善、駅前の賑わい拠点の整備などである。

 大成建設は、これらの地域の声を大切にしながら計画を検討、約4,000m2の広場の地域への開放、地下鉄駅のバリアフリー施設整備、淡路町方面への新たな動線整備による不便解消などを提案。街づくり協議会でも、地域の方々の理解を得ることが出来た。

 しかし、地域の方からは、広場やバリアフリーなど機能的には素晴らしいが、地域としては、計画地の緑や石垣など長年親しんできた景観や雰囲気も大切にして欲しいという更なる注文が出された。これに対し、計画を見直して、既存の樹木を最大限残す計画への変更や、100年前の石垣やレンガ擁壁をその雰囲気を残して再生活用することを盛込んだ。さらに広場には、ニコライ堂や湯島聖堂のスケッチポイントとなる視点場や、レンガを再利用した歴史案内サインやベンチを設け、地域の広場として親しんでもらえるよう工夫をした。

 「地域の方の意見も取り入れて、樹木や歴史的な景観を保存、再整備できたことは大変良かったと思います。100年以上前の石垣や30年以上前の樹木の存在は、完成後の景観をより深みのあるものにしてくれました。」(中村)

 地域との調和を大切にして練り上げた都市計画の案を取りまとめたのが2009年。都市計画の認可権者である東京都とは約1年半の協議を行い、さまざまな部署との調整を行った。

 東京都との協議を経て更に進化したのが環境対応だ。都内初の地下鉄湧出水の活用や、都内オフィスビル最大級の太陽光発電設備の導入など、先進的な取り組みに挑戦した。

 都市計画の協議は、大成建設の都市開発部門がもっとも得意とするところ。多少の困難はあったが、2009年秋に都市計画提案を行い、2010年3月に都市再生特別地区の都市計画決定がなされた。

事業パートナーとの結束

 本プロジェクトは、当社を中心として5社(竣工時は4社)で組成するSPCの事業として実施することとなった。各社にとっても本プロジェクトは超大型の事業であり、各社の担当者はそれぞれ社内で重責を担うこととなった。事業においては、あらゆる場面で事業主としての「判断」が必要となるが、各社で意見が食い違うこともしばしばあった。

長谷川隆

 それでも、事業着手から約5年間、毎週1回以上、計250回以上の会議の中で、ある時は意見をぶつけ合いつつも、最後には一つにまとまり事業を推進することが出来た。「会社の垣根を越えてチームとして一体となれる瞬間が、都市開発というビッグプロジェクトならではの面白さです。」(開発事業部・長谷川隆)

 また、ゼネコンの都市開発担当者は、いわばデベロッパーの立場と工事請負者の社員というある意味では利益相反の関係の矢面に立たされる。利害関係者のすべてが納得できるよう調整役になるのも都市開発担当者の役割だ。「今回、事業パートナーも当社の設計部門や作業所も「いいものを作り上げよう。そのために一緒になって知恵をしぼり、素晴らしい建物にしよう。」という思いを共有しながら、最終的には、限られた予算の中で双方が納得する形をうまく作り上げることができたと思います。その結果、事業パートナー各社との信頼関係を築くことができました。」(長谷川)

御茶ノ水の新しい顔として

 2013年4月12日、晴天、地域の方々、東京都や千代田区、その他多くの関係者が集まり、御茶ノ水ソラシティの竣工披露式により街開きが行われた。新しい駅前拠点として生まれた御茶ノ水ソラシティ。これからは、地域とともに育ち、成長していくことが期待されている。

 御茶ノ水ソラシティと隣接するワテラスをつなげる新しい歩行者通路。駅から淡路町方面へ人々が行き交う、新しい地域の歩行者導線となり多くの人に利用されている。また、東京メトロの駅のバリアフリー設備として設置したエレベーターも多くの人に使われている。

 広場には日々子供を連れた親子やスケッチブックを持った高齢者の姿が見られる。また、広場を中心に地域のイベントも開催されている。2013年10月には、千代田区と文京区の商店街振興連合会が主催する「はしまつり」の開会式が盛大に行われた。徐々に地域に根ざし始めている。

 また東京の三大祭りである神田祭りの時は、この広場が神田明神に宮入りした神輿の休憩場所にもなった。いつもはビジネスマンで溢れる広場がこの時ばかりは半被姿の一団で埋め尽くされ、一気にお祭り広場に様変わりした。

御茶ノ水ソラシティ 各所写真

 広場を行きかう人たちを眺めながら、中村は語る。

 「6年前、私たちの計画検討は地域の街づくり協議会にお話しを聞くことからスタートしました。地域の多くの方々の街への想いと、大成建設のもつ都市開発ノウハウや建設・環境技術を融合させることで、新しい御茶ノ水駅前のイメージが生まれてきました。オープン後のソラシティプラザは、ビジネスマン、学生そして家族やお年寄りが集う広場。まさに「人がいきいきとする環境」を実現できました。御茶ノ水ソラシティが一つの核となり、今後、御茶ノ水地域がさらに発展していくことを期待しています。」

 最後に、本プロジェクトの成功の鍵を長谷川に聞いた。

 「不思議なことに、この計画を担当した担当者全員がこの街の魅力に取り憑かれてしまいました。潤いのある景観、街に集まる様々な人々、地域で熱中するお祭りやイベント、そしてこの街に暮らす人々。苦しい場面でも、全員がこの街を好きになれたことが支えとなりました。これが成功の秘訣だと思います。」

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