| 略 年 譜 |
| 年 月 |
年齢 |
事 項 |
|
1887
|
0 |
10月6日スイス ラ・ショー=ド=フォンに父ジョルジュ・エドゥアール、母シャルロット・アメリーの次男として生まれる 父は時計盤エナメル職人、母はピアノ教師
|
|
1899
|
12 |
地元の実業学校に入学(ジムナジウムに相当)
|
|
1902
|
15 |
懐中時計の彫金工になるため地元美術学校に入学
|
|
1905
|
18 |
新設の高等科に進学、レプラトニエの下で建築を学び始める
|
|
1906
|
19 |
ミラノの装飾学校芸術国際展で彫金時計が入賞(学校としての入賞)
処女作ファレ邸(ルネ・シャパラとの協働)
|
|
1907
|
20 |
ピサ、フィレンツエ等北イタリアを約2月旅行。このときエマの修道院を訪問。その後ウィーンに4月滞在 ストッツアー邸 ジャクメ邸
|
|
1908
|
21 |
ウィーンからミュンへン、ニュルンベルグ、ナンシーを経由してパリを訪問 A.ペレの下で16月働く
|
|
1910
|
23 |
ドイツ装飾芸術の現況調査および都市の建設執筆のためドイツへ。
ドイツ工作連盟を訪問 ベーレンスの下で5月間働く
|
|
1911
|
24 |
5月間の東方への旅(東欧、バルカン、トルコ、イタリア)
|
|
1912
|
25 |
ジャンヌレ=ペレ邸 ファーブル・ジャコ邸 <ドイツにおける装飾芸術の活動に関する研究>
|
|
1914
|
27 |
ドミノの開発に着手
|
|
1916
|
29 |
シネマスカラ シュオブ邸
|
|
1917
|
30 |
1月にに故郷を去ってパリに シュオブ邸の建設費超過が訴訟沙汰に
|
|
1918
|
31 |
A.オザンファンと親交 ピュリスム宣言 <キュビスム以後>
|
|
1919
|
32 |
モノル住宅
|
|
1920
|
33 |
<エスプリ・ヌーボー>創刊(〜25)ル・コルビュジエの名前をはじめて使う シトロアン住宅
|
|
1922
|
35 |
従弟のピエール・ジャンヌレとアトリエを設立 シトロアン住宅(2)3百万人の現代都市案 オザンファン・アトリエ べスヌス邸
|
|
1923
|
36 |
ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸 小さな家
<建築をめざして>
|
|
1924
|
37 |
リプチッツ・ミスチャノフ邸 ペッサクの住宅群 アトリエをセーブル街35番地に移設 <ユルバニスム>
|
|
1925
|
38 |
エスプリ・ヌーボー館 <今日の装飾芸術>、<近代建築名鑑>、<近代絵画> ヴォワザン計画 メイヤー邸案
|
|
1926
|
39 |
父エドゥアール死去(71歳) 「近代建築の五原則」
クック邸 ギエット邸
|
|
1927
|
40 |
国際連盟案 スタイン邸 メゾンプラネクス ワイセンホフジートルング
CIAM(近代建築国際会議)の設立(58年まで10回開催)
|
|
1928
|
41 |
<宮殿と住宅> セントロソユーズ
南米を初訪問帰路の船上でジョセフィン・ベイカーと出会う
|
|
1929
|
42 |
サヴォア邸 救世軍難民院 C.ペリアンとの家具の協働
フランス市民権取得 イヴォンヌ・ガリと結婚 <プレシジョン>
|
|
1930
|
43 |
ド・マンドロー邸 べステギュ・アパート イムーブル・クラルテ スイス学生会館 アルジェ都市計画案 モスクワ、スペイン旅行
|
|
1931
|
44 |
自宅アパート P.ジャンヌレとスペイン、モロッコ、アルジェを旅行
|
|
1934
|
47 |
ムッソリーニに接触をはかる トリノのフィアット工場訪問
|
|
1935
|
48 |
<輝く都市> 米国諸都市で講演 ルイ・カレによるプリミティブ・アート展を自宅で開催 週末住宅 マテの家
|
|
1937
|
50 |
新時代館(パリ万博)<伽藍が白かったとき> デカルト的超高層住宅案
|
|
1940
|
53 |
6月11日アトリエを閉鎖 妻とピエールの3人でピレネーの麓オゾンに疎開
|
|
1941
|
54 |
ヴィシーに滞在 <4つの交通路> ピエールとのコンビを解消
|
|
1942
|
55 |
アトリエの再開 アルジェ都市計画最終的に否決
|
|
1943
|
56 |
サヴィーナとの協働始まる(彫刻)モデュロール開発に着手
|
|
1945
|
58 |
ATBAT(建設者のアトリエ)を創設 <三つの人間機構>
|
|
1947
|
60 |
デュバルの織物工場
|
|
1948
|
61 |
タピストリーの制作開始 クルチェット邸
|
|
1950
|
63 |
カプ・マルタン小屋 <モデュロール1>
|
|
1951
|
64 |
ロンシャン礼拝堂 ショーダン邸 サラバイ邸 アーメダバード美術館 繊維業者会館
|
|
1952
|
65 |
ユニテ・ダビタシオン(マルセイユ ナント)ジャウル邸
|
|
1954
|
67 |
ラ・トゥーレット修道院 ブラジル学生会館
|
|
1955
|
68 |
<モデュロール2>、<直角の詩> チャンディガール高等法院
|
|
1957
|
70 |
妻イヴォンヌ死去(65歳)ユニテ(ベルリン、ブリエ)
国立西洋美術館
|
|
1958
|
71 |
フィリップス館(ブリュッセル万博)チャンディガール事務棟
|
|
1959
|
72 |
青年と文化の館(フィルミニ)
|
|
1960
|
73 |
母の死去(100歳) サン・ピエール教会(フィルミニ)
|
|
1961
|
74 |
カーペンター視覚芸術センター
|
|
1962
|
75 |
チャンディガール議事堂 ユニテ(フルミニ)
|
|
1965
|
77 |
8月27日 水泳中にカプ・マルタンで死去
|