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ル・コルビュジエの年譜

 ル・コルビュジエ  Le Corbusier (Charles Eduard Jeanneret.1887.10.6-1965.8.27)

略  年  譜
年 月 年齢 事 項    

1887

0

10月6日スイス ラ・ショー=ド=フォンに父ジョルジュ・エドゥアール、母シャルロット・アメリーの次男として生まれる 父は時計盤エナメル職人、母はピアノ教師

1899

12

地元の実業学校に入学(ジムナジウムに相当)

1902

15

懐中時計の彫金工になるため地元美術学校に入学

1905

18

新設の高等科に進学、レプラトニエの下で建築を学び始める

1906

19

ミラノの装飾学校芸術国際展で彫金時計が入賞(学校としての入賞)
処女作ファレ邸(ルネ・シャパラとの協働)

1907

20

ピサ、フィレンツエ等北イタリアを約2月旅行。このときエマの修道院を訪問。その後ウィーンに4月滞在 ストッツアー邸 ジャクメ邸

1908

21

ウィーンからミュンへン、ニュルンベルグ、ナンシーを経由してパリを訪問 A.ペレの下で16月働く

1910

23

ドイツ装飾芸術の現況調査および都市の建設執筆のためドイツへ。
ドイツ工作連盟を訪問 ベーレンスの下で5月間働く

1911

24

5月間の東方への旅(東欧、バルカン、トルコ、イタリア)

1912

25

ジャンヌレ=ペレ邸 ファーブル・ジャコ邸 <ドイツにおける装飾芸術の活動に関する研究>

1914

27

ドミノの開発に着手

1916

29

シネマスカラ シュオブ邸 

1917

30

1月にに故郷を去ってパリに シュオブ邸の建設費超過が訴訟沙汰に

1918

31

A.オザンファンと親交 ピュリスム宣言 <キュビスム以後>

1919

32

モノル住宅

1920

33

エスプリ・ヌーボー>創刊(〜25)ル・コルビュジエの名前をはじめて使う シトロアン住宅

1922

35

従弟のピエール・ジャンヌレとアトリエを設立 シトロアン住宅(2)3百万人の現代都市案 オザンファン・アトリエ べスヌス邸

1923

36

ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸 小さな家 <建築をめざして>

1924

37

リプチッツ・ミスチャノフ邸 ペッサクの住宅群 アトリエをセーブル街35番地に移設 <ユルバニスム>

1925

38

エスプリ・ヌーボー館 <今日の装飾芸術>、<近代建築名鑑>、<近代絵画> ヴォワザン計画 メイヤー邸案

1926

39

父エドゥアール死去(71歳) 「近代建築の五原則」  クック邸 ギエット邸

1927

40

国際連盟案 スタイン邸 メゾンプラネクス ワイセンホフジートルング
CIAM(近代建築国際会議)の設立(58年まで10回開催)

1928

41

<宮殿と住宅> セントロソユーズ  南米を初訪問帰路の船上でジョセフィン・ベイカーと出会う

1929

42

サヴォア邸 救世軍難民院 C.ペリアンとの家具の協働
フランス市民権取得 イヴォンヌ・ガリと結婚 <プレシジョン>

1930

43

ド・マンドロー邸 べステギュ・アパート イムーブル・クラルテ スイス学生会館 アルジェ都市計画案 モスクワ、スペイン旅行

1931

44

自宅アパート P.ジャンヌレとスペイン、モロッコ、アルジェを旅行

1934

47

ムッソリーニに接触をはかる トリノのフィアット工場訪問

1935

48

<輝く都市> 米国諸都市で講演 ルイ・カレによるプリミティブ・アート展を自宅で開催 週末住宅 マテの家

1937

50

新時代館(パリ万博)<伽藍が白かったとき> デカルト的超高層住宅案

1940

53

6月11日アトリエを閉鎖 妻とピエールの3人でピレネーの麓オゾンに疎開

1941

54

ヴィシーに滞在 <4つの交通路> ピエールとのコンビを解消

1942

55

アトリエの再開 アルジェ都市計画最終的に否決

1943

56

サヴィーナとの協働始まる(彫刻)モデュロール開発に着手

1945

58

ATBAT(建設者のアトリエ)を創設 <三つの人間機構>

1947

60

デュバルの織物工場

1948

61

タピストリーの制作開始 クルチェット邸

1950

63

カプ・マルタン小屋 <モデュロール1>

1951

64

ロンシャン礼拝堂 ショーダン邸 サラバイ邸 アーメダバード美術館 繊維業者会館

1952

65

ユニテ・ダビタシオン(マルセイユ ナントジャウル邸

1954

67

ラ・トゥーレット修道院 ブラジル学生会館 

1955

68

<モデュロール2>、<直角の詩> チャンディガール高等法院

1957

70

妻イヴォンヌ死去(65歳)ユニテ(ベルリンブリエ
国立西洋美術館

1958

71

フィリップス館(ブリュッセル万博)チャンディガール事務棟

1959

72

青年と文化の館(フィルミニ)

1960

73

母の死去(100歳) サン・ピエール教会(フィルミニ)

1961

74

カーペンター視覚芸術センター

1962

75

チャンディガール議事堂 ユニテフルミニ

1965

77

8月27日 水泳中にカプ・マルタンで死去

※太字は建築作品 <>は雑誌・著作 作品制作年はLC財団年譜等を参考にしています

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