週刊新潮「タワークレーン」
農民と 生きた 田植地蔵
東京メトロ副都心線の西早稲田駅で降りて2番出口から地上へ出ると諏訪町交差点である。JR山手線の内側を池袋−新宿−渋谷と結ぶ環状5号道路の明治通りと東西に走る諏訪通りがここで交差している。諏訪町や諏訪通りの名称は、いずれもこの交差点の西北角にある諏訪神社から出ている。
諏訪神社(新宿区高田馬場一−一二−六)は、江戸時代には戸塚、大久保、百人町一帯の鎮守としてお諏訪さんの名で親しまれた古社である。社伝によると平安初期に小野篁が大国主命と事代主命を祭ったのが起源とされ、鎌倉時代に源頼朝が戦勝を祈願して勝利の後社殿を造営、さらに江戸初期に戸山ヶ原に屋敷を構えた尾張藩主徳川義直が信州の諏訪神社と改称し、社殿を再建している。
『江戸名所図会』には、「諏訪谷村 諏訪明神社」として二ページを割いて詳細な俯瞰図が掲載されているので、広々とした田園に囲まれた丘に立つ豊かな緑の中の社殿と、西隣に慶長六年(一六〇一)創建の別当寺(神社に付属して置かれた寺院)玄国寺の当時の姿が、今もほとんど変わらずに残されていることがよくわかって興味深い。
ここが諏訪谷村と呼ばれたのは、近くの大久保(窪)と同じように水に恵まれた湿地だったからだろうか。当然そこに水田が開かれる。お隣はずばり早稲田である。
諏訪通りの玄国寺前を西に歩くと玄国寺墓地があり、そこに田植地蔵堂がある。田植え時になると必ず旅の僧が現れ、多忙の農民を手伝ってくれる。不思議に思った村人が跡を追うと、地蔵堂のあたりでお姿が見えなくなる。そしてお地蔵さまの足が泥だらけだった。今も地蔵堂には赤い前垂れ姿のお地蔵さまが大事に祭られている。
(掲載号:03月25日号)