週刊新潮「タワークレーン」
新宿・柏木 圓照寺と 右衛門桜(えもんざくら)
江戸時代初期の天和年間(一六八一−八四)に戸田茂睡が書いた江戸の地誌『紫の一本』は山、坂、谷、窪などとまとめる分類方式が特徴である。花、郭公、月など四季の変化で分類した巻もある。「花」では最初に上野の花見が登場し、山内の各所に花見客が幕を巡らせて、「幕の多き時は三百余、少なき時は二百あまりあり」と当時から大賑わいだったことがわかる。
花の項目の終わりには、渋谷・金王八幡の金王桜と、柏木村(現・新宿区北新宿)の右衛門桜が取り上げられていて、両者ともに昔から江戸で話題の桜だったのである。
右衛門桜については、
<円性寺と云ふ寺の寺内にあり。花の色勝れ匂ひ深し。柏木村の名木なるゆゑにや、右衛門桜と名付くる。花の盛りは世の花よりは余程遅し。匂ひは茴香に似たり>
とある。円性寺は新宿区北新宿三−二三−二に現存する圓照寺で、『紫の一本』には、桜のまわりを竹の垣で囲っているとある。江戸時代後期の『江戸名所図会』を見ると、圓照寺付近の全景と、もう一枚竹垣に囲まれた右衛門桜をクローズアップした挿絵があり、満開の花を見上げる人、短冊に歌句を書きつける人など江戸の風流人の姿がユーモラスに描かれ、本文では、この桜を<単弁にして芳香殊に勝れ、類なき名樹なり>と絶賛している。
柏木の地名は、このあたりに柏が多かったからともいう。しかし風流人なら柏木とくれば源氏物語の柏木右衛門督を思い出すので、この桜もいつしか右衛門桜と呼ばれるようになったのだろうという『図会』の解説も尤もである。
北新宿の圓照寺を訪ねると、本堂脇に桜の植え込みと「伝説 柏木右衛門桜ゆかりの地」の碑があり、さらに本堂前の庭の中央にもシャレた桜の植え込みがあった。
(掲載号:02月25日号)