週刊新潮「タワークレーン」
逢坂 浄瑠璃坂 紫の一本
江戸時代初期の天和年間(一六八一−八四)に戸田茂睡が新興都市江戸を紹介する『紫の一本』を書いている。茂睡は浪人で浅草に閑居し、歌人としても一家を成しただけに『紫の一本』も江戸の名所を山、坂、谷、窪などの特徴で分類し、話題の場所は物語を添えているので独特な読み物になっている(小学館・新編日本古典文学全集『近世随想集』に収められているので入手しやすい)。
たとえば「坂」には、長坂、聖坂、榎坂などのあとに、逢坂(新宿区市谷船河原町)、浄瑠璃坂(新宿区市谷砂土原町)が詳しく紹介され、これを読むと江戸時代初期の話題が今でもだいじに語り伝えられていることがよくわかる。
逢坂にまつわる伝説は奈良時代である。武蔵守の小野美佐吾とさねかづらという美女の悲恋物語で、奈良に帰任した美佐吾は思いがけず病死したが、さねかづらは美佐吾を慕い続けたので美佐吾の霊とこの坂で逢うことができた。だが、失意のさねかづらは結局、水死を選んだ。逢坂の名の由来の物語である。
歌人の茂睡は、百人一首の「名にしおはば逢坂山のさねかづら」からの連想でできた伝説ではないかと推測しながらも、伝説を否定せずに紹介しているのが興味深い。
浄留利坂(原文の表記)の方は一転して、当時江戸の話題をさらった仇討ち現場の実況中継である。坂の名はここで浄瑠璃芝居の興行があったことから出ていると説明したあと、この坂を舞台に寛文十二年(一六七二)に実際あった奥平源八の敵討ち事件の模様を、ちょうど張り扇を振りかざしながら講談を語るように叙述するのである。
<所は牛込御門の前、時は朝日の出づる時、往来の人々立ち止まりて見物する>
当時の空気が伝わってくるようである。
(掲載号:02月04日号)