週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

武蔵国 静岡県 新宿区

 江戸は武蔵国にある。武蔵とは、どんなところなのか。江戸時代初期の寛文二年(一六六二)に出版された新興都市江戸の案内記であり、地誌でもある浅井了意 (あさいりょうい) の『江戸名所記』も江戸の紹介を武蔵国の説明から始めている。

 ムサシの地名の由来はあきらかではない。古代の人はムサシをムザシと濁って発音したらしい。だから漢字表記で无邪志 (むざし) と書いた。『古事記』にもイザナキノミコト(伊邪那岐命)と「 () 」の例がある。

 奈良時代、政府は中国をお手本にしていたから、地名は中国風に二字で好い字を使うようにとお触れを出した。ムザシの場合、誰が考えたのか「ムザ」に「武蔵」を宛て「志」は省いて、政府のいうように二字にしたらしい。

 地名の変化は明治維新後にも起きた。江戸は東京となり、徳川家は駿河に移されて静岡県と命名された。民俗学者で地名研究家の谷川健一編著『現代「地名」考』(NHKブックス)によると、静岡の地名が誕生したのは明治二年(一八六九)のことで、こんな経緯があったという。

 徳川の十六代目を継いだ家達 (いえさと) は駿河国府中(駿府 (すんぷ) )に入ったが、府中の地名は各地にあるうえ「不忠」につながるのはまずいと改名案が出た。そこで藩庁のそばにあった賤機 (しずはた) 山の名から「賤ヶ丘 (しずがおか) 」案が生まれ、最後に同音の「静岡」が選ばれた。小さな丘の名から出た新地名が、遠江、駿河、伊豆三ヶ国を合わせた県の名称になった。

 新宿区の場合も、内藤新宿から出た地名が盛り場新宿を代表するようになり、さらに四谷、牛込、淀橋三区を合わせた区名になっている。谷川健一は同書で<地名には、一本松という地点名がやがてその付近一帯を表すようになるなど、たしかに一種の拡大性があります>と指摘している。

(掲載号:01月28日号)