週刊新潮「タワークレーン」
一富士 二鷹 三茄子
江戸は関東平野の南部にあって、東西が開けているので「西に富士ヶ峯 東に筑波」と、各所から東と西の霊峰を望むことができた。
駿府(現・静岡市)から江戸に入った徳川家康は、日ごろ慣れ親しんだ霊峰富士が江戸からよく見えるので非常に気に入ったという。富士見は不死身に通じるので武人にはとりわけ縁起がよい。
「一富士二鷹三茄子」も、初夢に見ると縁起がよいと江戸の人たちはもちろん現代でももてはやされる言葉。もともとは駿河の名物を並べた諺から出たという説もある。江戸の百科事典として有名な喜多村
庭『嬉遊笑覧』は、次のように説明している。
<よき夢のことに「一富士二鷹三茄子」といふは、何の故とも弁へがたし。駿河国などの諺にて、其国の名物なればいふにや。但し鷹はその国の産をいふにはあらず>
初茄子は温暖な駿河の特産で江戸では珍重されたが、鷹は駿河の名産というわけではないから、なぜこういうのかわからない。まあ、富士山は高大をよろこび鷹はつかみとる、茄子は成すと語呂が合い、いずれもめでたい。
永井荷風は東京散策記の『日和下駄』のなかで、近代化する東京の風景が江戸の美観を失うことを慨嘆し、路地や閑地や崖や坂など都会人が日常見落としている風景のなかに美があることを詳細に述べている。とくに、荷風は「夕陽 附 富士眺望」の一節を設け、次のように言う。
<ここに夕陽の美と共に合せて語るべきは、市中より見る富士山の遠景である。夕日に対する西向きの街からは大抵富士山のみならず其の麓に連る箱根大山秩父の山脈までを望み得る>
当時は九段坂上の富士見町通り、神田駿河台、牛込寺町辺だったが、さて現代の富士見名所はどこか。
(掲載号:12月31日・01月07日合併号)