週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

輪王寺宮 休息所 御隠殿

 子規庵や書道博物館が建っている台東区根岸二丁目の鶯横町を日暮里方向へ少し行くと、左手に児童遊園地がある。その前を右折した先の四つ角の南東・根岸二丁目二−一九−一〇に「根岸薬師堂」と呼ばれている薬師寺がひっそり鎮座している。

 江戸の昔、この辺り一帯は寛永寺住職・輪王寺宮の御隠殿 (ごいんでん) だった。今、同寺境内に「御隠殿跡碑」があり、入り口にその旨の掲示がある。

 御隠殿とは輪王寺宮の別邸・休息所で、現東京国立博物館の所にあった寛永時本坊で公務を執られていた宮が、ときおり息抜きにこられた屋敷である。敷地は三千坪余で、老い松の林に包まれた池が広がっていて月の眺めが絶景だったと伝えられている。

 明治の『東京名所図会』は「上野の宮の隠居御殿なりき。古園に御隠居所とのみ記したるもあり。賽暦三年七月杉崎の地四段一畝買上られ。造營なりて壮麗を極め。常に宮家の遊園なりき」と記し、月夜には池に船を浮かべ、音楽を鑑賞されたともある。

 一七五三年、寛永時七代門主公遵 (こうじゅん) 法親王のときに建てられたもので、以来代々の門主が静養に使われてきたが、維新時の彰義隊の戦争で焼失してしまった。

 薬師寺は明治初期、その跡地のごく一部に建てられたもので、明治から大正にかけては眼病に効験があるという評判が高かった。本堂にはいつも眼病治癒を願う人が大勢お籠りして祈りを捧げていたと伝えられ、子規は散歩の折りにでも見かけたのだろうか、「藤咲いて眼やみ籠るや薬師堂」という句を詠んでいる。

 この薬師堂の西方、東北線などの鉄道の線路をまたぐ陸橋に「御隠殿坂」の名が付いている。輪王寺宮が寛永時・上野の山から御隠殿に向かわれるときに通った坂があった所である。

(掲載号:12月24日号)