週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

書道博物館 不折と 子規と

 台東区根岸ニ丁目の子規庵斜め前に、区立書道博物館(月曜休館)が建っている。洋画家で書家の中村不折が収集した中国・日本の書道に関する貴重な史料が多数収蔵、展示されている。その前身は昭和十一年、不折が自宅に開館したもので、平成七年、中村家から区に寄贈された。

 不折は慶応二年(一八六六)江戸に生まれたが、四年後の明治三年、維新の混乱を避け一家は信州高遠に移住した。その頃から絵が好きで、長じて小学校の絵の教師になった。

 同二十一年、本格的な絵の勉強のため上京、小山正太郎らに師事したが、世に出るきっかけともなったのは、一歳下の正岡子規との出会いだった。二十七年、子規が新聞「日本」の創刊した「小日本」の編集責任者になったとき、挿絵画家として採用したのが不折だった。

 日清戦争の折で、子規と同じように不折も翌年従軍記者となった。このとき、中国の書に関する考古資料に注目、日本に持ち帰って彼独自の書風を展開するようになったという。

 また、子規との交友も深まり、日本画しか認めなかった子規が不折の感化で洋画・油絵を認めるようになった。この経緯は、不折がフランス留学に出発する四日前の明治三十四年六月二十五日から当日までの五日間、『墨汁一滴』に子規が詳しく記している。彼の死の一年前で、病床にあって見送りや送別会ができない代わりに書いた送別の辞で最後はこう結んでいる。

「西洋へ往きて勉強せずとも見物して来れば沢山なり。その上に御馳走を食ふて肥えて戻ればそれに上する土産はなかるべし。余り齷齪 (あくせ) と勉強して上手になり過ぎ給ふな」

 不折が帰国したのは、四年後だった。子規庵前に居を構えたのは大正三年で、昭和十八年死去した。

(掲載号:11月19日号)