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週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

よい水が豊富で 写真の研究所も 西新宿にできた

 写真術を発明したのは仏人ニエプスで、一八ニ六(文政九)年のこと。約十年後の一八三九(天保十)年ニエプスの協力者だったダゲールが開発したダゲレオタイプカメラが発表された。嘉永七年(一八五四)黒船のペリー艦隊には米人ブラウンがダゲレオタイプを持ち込み日本を撮影した。

 日本人最初のカメラマンは薩摩藩士の市来四郎 (いちきしろう) で、開明派の藩主島津斉彬 (なりあきら) の命で、安政四年(一八五七)長崎経由でオランダから輸入したダゲレオタイプで主君を撮影した。

 幕末の文久二年(一八六ニ)長崎で上野彦馬 (うえのひこま) が写真館を開いた。彦馬は長崎の商人上野俊之丞 (しゅんのじょう) の四男で、俊之丞は薩摩藩御用も務めダゲレオタイプを輸入した人である。彦馬はオランダから来日した医官ポンペに入門、医学・化学を学び、自製の薬品でついに写真撮影を習得した。写真を撮ると魂を吸い取られるなどという迷信が横行した時代で、当初は客もなかったが、慶応年間には坂本竜馬、高杉晋作 (たかすぎしんさく) 、桂小五郎(木戸孝允 (きどこういん) など維新の志士たちが訪れている。坂本竜馬は袴に西洋靴、懐にはピストルという颯爽たる(?)姿で当時の空気を伝える貴重な肖像を残している。

 明治初年には東京でも多くの写真師が活躍する。初期の写真は、化学薬品の調合・処理に苦労する湿板写真だったため、薬種商が写真材料を扱い始め、明治六年(一八七三)麹町の薬種商小西商店が写真材料に進出、さらに明治三十五年(一九○ニ)良質な水に恵まれていた西新宿に写真感光剤の研究所を設立した。これがのちに小西六写真工業、コニカ(現コニカミノルタ)に発展したのは言うまでもない。

 小西商店が設立した研究所(六桜社)跡は、現在の新宿中央公園内。公園管理事務所近くの植え込みに「写真工業発祥の地」の碑がある。

(掲載号:10月08日号)