週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

超高層ビル群 新宿・成子坂 子育て地蔵尊

 東京メトロ丸ノ内線の西新宿駅を出て青梅街道を西へ歩くと成子坂で、すぐ成子天神下交差点である。この交差点を南へ東京都庁舎や新宿中央公園方面に折れる高層ビル脇に、立派な鉄筋コンクリート造の地蔵堂があって、赤い (よだれ) かけのお地蔵さまが鎮座していらっしゃる。

 このお地蔵さまにまつわる伝説——むかし成子坂付近に住む農民がひとり息子を町へ奉公に出した。お盆の藪入りにその息子が帰ってくることになったが、もてなしてやるゆとりがない。

 父親にふっと悪心が芽生えて暗夜の成子坂で通りかかった旅人を殺して財布を奪った。ところが、その財布こそ息子に持たせてやったものだった。

 殺した旅人が実は最愛の息子だったことを知って父親は絶望のあまり自殺した。父子を憐れんだ地元の人たちが地蔵を建てて供養した。

 これが江戸時代中ごろの享保十二年(一七ニ七)という。約二百年後の一九四五年、このお地蔵さまが太平洋戦争の戦火を受けた際も、地元の人たちは地蔵尊の石像と木造のお堂を再建している。

 この地蔵堂が現在の不燃化造に建て替えられた経過は、地蔵堂脇の「成子子育 (こそだて) 地蔵尊概要」という解説板に、簡潔に要領よく語られている。

<成子子育地蔵尊は享保十二年に成子坂に北面して建立、その後天保年間に再建、以来二百数十年霊験あらたかに其の名も高く近郷近在の崇敬の対象となっていましたが、(中略)昭和四十六年頃よりこの一帯は超高層ビル街に生まれ変わり、平成十四年当地区も西新宿六丁目再開発地域として一新し、それを機にお堂も不燃化造りに建て替えられて(以下略)>

 不思議なことに、ここではお地蔵さまにもやはり不燃化造の地蔵堂がお似合いのようなのである。

(掲載号:10月01日号)