週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

上野公園 恩人像は 弟だった

 上野公園の中央部竹の台噴水池の西側中央付近から東京都美術館の方へ入った木立ちの中に、同公園の 生みの親オランダの軍医A・F・ボードウィン博士の胸像が建っている。ところが、その像が以前は、実 は博士の弟だったということをご存じだろうか。

 上野の山は、明治の初め大学東校(後の東大医学部)の校舎や付属病院の建設予定地だった。だが、そ こを視察した博士は、東京のような大都会には公園が必要なのに自然をつぶして病院などを造る愚を痛烈 に批判した。

 彼の意見は、オランダ公使を通して明治政府に伝えられた。多少の曲折はあったが明治六年、上野の山 は日本最初の公園建設地の一つに指定され、同九年正式に開園の運びとなった。

 この功績を讃え、公園指定百周年の昭和四十八年、東京都やオランダ大使館などが博士の胸像を建てた 。立派な顎ひげをたくわえた像で台石に「ボードワン博士像」とあって、功績も刻まれていた。

 それから約十年後、胸像の顔は博士の弟で駐日オランダ領事だったA・J・ボードウィンだったことが 研究者の指摘でわかったという。このいきさつは、平成十八年九月三日付けの読売新聞朝刊に掲載されて いる。

 それによると、間違いの決め手は顎ひげで、兄には顎ひげはなかった。だが永い間、像はそのままだっ た。

 これを憂えたのが、博士が大阪仮病院(現大阪大医学部)で教鞭を執っていたときの寄宿先だった大阪 市中央区の法性寺住職の山本信行さんだった。写真資料を集める一方、寄付を募り、兄本人の像を富山県 高岡市の製造会社に依頼、平成十八年に完成した。原型は日展評議員の彫刻家林昭三さんの作品である。

 今、鼻下のひげだけの“本物”の像が建っている。

(掲載号:09月24日号)