週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
江戸の狂歌師 大田蜀山人の 暮らしぶり
江戸時代後期の狂歌師
蜀山人は書物が好きだった。残暑の厳しいある日、約束のあった知人宅を訪れたところ知人が不在で、やむなく帰宅の道すがら露天の古本商をのぞくと、かねて探し求めていた書物があった。蜀山人はもうむだ足のことなど忘れて、かえって知人の不在のお蔭だと感謝したという。
松平定信の寛政の改革では、蜀山人の周囲にも厳しい
蜀山人は「寝惚け先生」とか「おやじ」と呼ばれて親しまれたお人よしだった。出入りの男が盆灯籠を売りに出したらさっぱり売れない。それは気の毒と蜀山人は百近い売れ残りの灯籠に句や歌を書いてやった。蜀山人の一筆入りというので灯籠は飛ぶように売れた。西新宿の熊野神社に残る水鉢の銘も、気安く引き受けた一例だろう。
新宿駅西口に近い青梅街道沿いにある日蓮宗の古刹、常圓寺(西新宿七−一二−五)入口右側の植え込みには、蜀山人と同時代の狂歌師、
三度たく米さへこはし
とある。湖鯉鮒は、本名大久保正武、蜀山人と同じ幕府直参の御家人で、文政二年(一八一九)の建立の、この狂歌碑も蜀山人の書。新宿区の指定史跡である。
(掲載号:09月10日号)
