週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
駅伝 発祥の 記念碑
駅伝とは、古代の陸上交通制度の一つだった。日本では唐の制度にならって律令で駅馬、伝馬を置くことが定められた。正確に は駅伝制、または駅制といい、五畿七道の三十里(約十六キロ)ごとに駅を置いて駅馬を備え、緊急を要する朝廷の使者に馬と食 糧を提供した。
これとは別に、各郡に五匹ずつ馬を飼わせて公用旅行の官人に使わせる制度を伝馬といった。早く廃れたが、戦国時代に諸大名 が領国支配と軍隊輸送の必要から復活させ、主要道路に宿駅を設けて伝馬を常備した。江戸時代にはさらに整備されて民間の輸送 にも使われた。
ところで今、駅伝といえば、数人でチームを作り、各チームがリレー形式でたすきを渡しながら長距離を走って総合時間を競う 陸上競技を大概の人が思い浮かべるだろう。日本生まれの競技で、国際陸上競技連盟の名称はRoad relayだが、Ekidenでも通用す るそうである。
この駅伝競走は、テレビ中継されるようになって人気が高まった。東京箱根間往復大学駅伝競走・通称箱根駅伝などは正月の風 物詩的存在にもなっているが、この競技が初めて行われたのは大正六年四月二十七日から二十九日までの三日間だった。
東京遷都五十年記念の博覧会の記念事業の一つで、「
不忍池畔のものは、西条八十の「かなりやの碑」の向かいにある色付きの楕円形の碑なので、すぐ分かる。初の駅伝の模様につ いては、改めてご紹介する。
(掲載号:08月13日・20日合併号)
