週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

マクワウリが 特産品だった 新宿の成子坂

 東京メトロ丸ノ内線の西新宿駅を出て青梅街道を西へ歩くと、道はゆっくりした下り坂になっている。これが成子坂 (なるこざか) である。

 成子坂は鳴子坂とも書かれた。鳴子は、 案山子 (かかし) とともに田畑に近づく鳥獣を追い払う仕掛け で、板に竹管などを結んでおいて引き縄を引くとガラガラ鳴るので鳥獣が逃げた。戦国時代というから五百年も前になるが、この街道に あった酒屋が店先に鳴子を用意していて、客は鳴子を鳴らして店の者を呼んだ。そこで鳴子坂の地名が出たという。

 鳴子はともかく、このあたりは江戸時代にマクワウリの特産地で有名だった。青梅街道沿いの北側に菅原道真をおまつりする成子天神 社があるが、その参道入口に「江戸、東京の農業 鳴子ウリ」と題してJA(農協)が立てた解説板がある。

 その説明によると、江戸に幕府を開いた徳川家は、元和 (げんな) 年間(一六一五−ニ四)に美濃の国真桑村 (まくわむら) (現・岐阜県本巣 (もとす) 市)から農民を呼び寄せ 、鳴子と府中の是政村(府中市)に御用畑を設け、マクワウリを栽培させた。マクワウリは根が浅く、土の乾燥に弱いので土に湿気のあ る神田川流域の当地は適地だったという。

 元禄時代(一六八八−一七〇四)に新宿に宿場が開かれたため栽培は盛んになり、当時四谷ウリとか鳴子ウリと呼ばれて明治にいたる まで有名な特産品だった。鳴子ウリは外観は緑色で、表面に細い緑の筋があり、熟すと甘い香りとともに黄色く色付く。果肉は緑色で、 甘味に富んでいた。フルーツが少なかった時代だから水菓子として貴重な野菜だったと強調している。

 マクワウリは新しい時代に姿を消したが、近縁種の西洋系メロンとうまく交配されてフルーツとして歓迎されている。プリンスメロン などがそれである。

(掲載号:08月06日号)