週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
江戸の事件 淀橋水車の 大爆発事故
『江戸名所図会』の挿絵は、現代の記録写真を見るように、正確で、たとえば新宿区の淀橋なども江戸時代後期の姿を、百数十年後の今も、こまかく読みとれるほどである。
ここを流れている神田川は三鷹市の
『江戸名所図会』の挿絵を見ると、
よく見ると、手前にもう一本細い流れがあり、草葺き屋根の屋内で大きな水車が回っている。この小流は農業用に神田川から引かれた用水路で、ふだんは付近の人たちが水車を動力に米や麦を挽いていたという。これが、現在も淀橋の橋柱にシンボルマークとして刻まれている淀橋名物の水車なのである。
幕末の江戸はアメリカのペリー提督が率いる黒船の来航で騒然とするが、あわてた幕府は、こんな淀橋の水車にまで海岸防備の火薬作りを命じている。危険極まりない作業で、不幸にも安政元年(一八五四)六月、作業員の手違いから火薬の大爆発という事故が発生した。
作業員の一人が死亡しており、付近の民家もまばらな時代だったのに、五十人あまりのけが人が出た。『
(掲載号:07月30日号)
