週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

淀橋に 江戸の 思い出

 新宿区は、昭和二十二年三月、東京都が二十二区制(のち練馬区が分離独立して二十三区制)をとったとき、三十五区制時代の四谷、牛込、淀橋の三区が合併して成立した。

 淀橋は、神田川に架かる橋の名である。では、淀の地名はどこから来たのか。平安朝の漢和辞書『和名抄 (わみょうしょう) 』に出てくる武蔵国豊島郡余戸郷 (あまるべごう) を「よどごう」と読み、これに当たるという説がある。また、柏木村、中野村、角筈村 (つのはずむら) 本郷村 (ほんごうむら) (中野にあった大字名)四村の村境にあったので四所 (よところ) 橋と呼び、そこから出たという説、あるいは京都南郊の淀に風景が似ていたからともいう。

 『江戸名所図会』には、江戸時代後期の淀橋の風景を、こう紹介している。

成子宿 (なるこじゅく) と中野村との間に (わた) す。大小二橋 (ふたつのはし) ありて、橋より此方 (こなた) 水車 (みつぐるま) あり。昔大将軍家この地に御放鷹 (ごほうよう) の頃、山城の淀に準拠 (なぞらへ) 、この橋を淀橋と唱ふべき旨上意あり。因って () とすといへり>

 将軍が鷹狩の際に立ち寄り「淀そっくりだから淀橋と呼ぶのがよい」と言ったので、その名が出たという。『江戸名所図会』には、絵師の長谷川雪旦 (せつたん) が描いた「淀橋水車」が掲載されている。神田川の下流から淀橋を眺めた図で、江戸時代後期の青梅街道の賑わいが伝わってくるような生きいきした挿絵である。

 東京メトロ丸ノ内線の西新宿駅から青梅街道沿いに、東京都庁をはじめとする西新宿の超高層ビル群を左に見ながら、成子坂 (なるこざか) をゆっくり西へ下っていくと淀橋に出る。

 現在の橋は大正十四年に架けられた鉄筋コンクリート製の永久橋だが、親柱や欄干の石柱にはっきり目立つ文様で、大きな丸が彫ってある。かつて橋の脇にあった水車を記念したシンボルマークで、平成十七年の架け替え工事の際にも親柱は先代のものが、そのまま残された。

(掲載号:07月23日号)