週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
講談の 定席 本牧亭
講談や落語の成り立ちなどを考証した関根黙庵著の『講談落語考』に、明治初年の東京の主な講談専門の寄席の一つとして挙げ られている「下谷本牧」は、戦後も長い間、都内唯一の講談定席として親しまれていた上野の本牧亭の前身に他ならない。その開 席は安政四年(一八五七)と伝えられ、今も上野広小路に健在の落語の定席・鈴本演芸場も明治の初め、本牧亭の経営者が別に開 業した席である。
戦後の本牧亭は昭和二十三年、当時の上野北大門町(現上野二丁目)に建てられて翌年、興行場として正式に許可された。講談 の定席だったが、明治の書生を熱狂させた娘義太夫の流れを汲む女流義太夫の定期公演なども行われた。
その存在は当初、主に講談愛好者が知るだけの地味なものだったが、アンツルさんの愛称で親しまれた劇評家安藤鶴夫(一九〇 八−六九)の『巷談本牧亭』で一躍有名になった。昭和三十七年一月から六月まで読売新聞夕刊に連載されたこの小説は翌年、桃 源社から出版され、直木賞を受賞した。
安藤自身も近藤亀雄・コンカメとして狂言回し役で登場していて、当時の席亭・石井英子さんを始め、講談師など、畳敷きの寄 席・本牧亭をめぐる人間関係を描いたものだった。まだ東京オリンピック前の街の様子や風俗などもうかがえ、今読んでも興味深 い。
その出だしは、近藤亀雄が地下鉄銀座線の上野広小路駅の浅草行きホームから本牧亭と講談協会の忘年会に向かうくだりである 。
「家かずにして九軒ばかりの舗道を、上野公園の方に向かって歩くと、角に、白い時計台のある交通公社がある」
その横丁を左に折れた左側に、本牧亭の幟が立っていた。今、時計台はないが、交通公社・JTBは小説通りの角にある。だが、 そこを曲がっても本牧亭はない。
(掲載号:07月02日号)
