週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

蒲焼が 名物の 仏店

 江戸前とは、元々は江戸城の前面を意味したが、いつしか品川や芝沖など江戸前面の海を指すようになり、そこで獲れる魚の形容詞のように使われ、さらに現在では江戸風という意味にもなった。

 その中で魚類に関しては、江戸前は初め鰻だけに限られていたようである。

 「この江戸前という言葉が、宝暦以来鰻のために繰り返されている。江戸前という言葉は、鰻によって出来たのかと思われるぐらいであります」

 三田村鳶魚著『娯楽の江戸 江戸の食生活』(中公文庫)「天麩羅と鰻の話」の中の一文で、十八世紀半ばから後半にかけての江戸中期には江戸前イコール鰻だったと考証している。一例として「江戸前を鵜は呑かねてぎつくぎく」という川柳を挙げている。

 その鰻料理では、何といっても蒲焼だろう。それがいつ頃考案されたものかはっきりしないが、十七世紀の末頃、京都辺りで調理されたのが始まりと推定されている。

 それから一世紀後の十八世紀末の天明年間には、江戸に店構えの鰻屋が出現したと同書は記している。その鰻屋では、 仏店 ( ほとけだな の二軒が有名だった。

 上野駅ができる前、上野の山の東下一帯を山下といった。そこには下寺と呼ばれた寛永寺の子院群があって仏具を売る店が多く、仏店ともいわれ、評判の鰻屋が二軒あった。

 これについては昭和四年、デパートの松坂屋が発行した『下谷上野』に、二軒は濱田屋と大和屋とあり、それに関する川柳も載っている。

 「浜大和どちらもうまい仏店」というのがある反面、「卵塔で蒲焼を焼くやうなとこ」なんて皮肉られてもいる。さらに二軒の付近には、「 蹴転 ( けころ 」と呼ばれた私娼窟があった。そこで「蒲焼のせいで隣家も流行るなり」なんて句も紹介されている。

(掲載号:06月18日号)