週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
江戸の 寄席の 発祥地
落語を主に漫才、太神楽、手品などを実演する寄席という名称は、人寄せ場が転じて生まれたといわれる。
噺家・落語家の誕生は十七世紀くらいまでさかのぼれるらしいが、最初は人通りの多い野外で、不特定多数の通行人を相手にしゃべる大道芸の一つだった。それが時代が下るにつれて自宅に人を集めるようになり、さらにもっと人寄せができる寄席へと発展していった。
寄席の起源については諸説あるようだが、『岡本綺堂 江戸に就ての話』には「三笑亭可楽が下谷広徳寺前の孔雀茶屋で三題噺を演じたなどが最も古いところであろう」と記されている。下谷広徳寺は現在の台東区役所のところにあった名刹で昭和四十六年、練馬区に移転した。
孔雀茶屋で演じられた年月が書かれていないが、『藝能辞典』(東京堂版)の「寄席」の項を見ると、現在のような寄席は「寛政十年(一七九八)に、神田豊島町に大阪下りの落語家岡本万作が常設の寄せ場を設けたときからである。これに対抗して、三笑亭可楽が下谷柳の稲荷社内に寄せ場を開くというふうに、しだいに行われ」とある。
広徳寺前には、『江戸名所図会』に「広徳寺の向う側にあり」とある下谷稲荷社があった。現在の下谷神社で、柳の稲荷というのも同神社のことだろう。孔雀茶屋は、その境内にあったのかもしれない。
今、東上野の同神社本殿前の石段横に「寄席発祥之地」の石碑が建っている。側面に、寛政十年六月この境内で初めて有料の咄の会が開かれ、これが江戸の寄席の始まりとなった旨が記されている。
平成十年、それから二百年を記念して、今東京にある定席の鈴本演芸場、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の四つの寄席が建てたものである。
(掲載号:06月11日号)
