週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
郷愁の 香りの 上野駅
東京の北の玄関・JR上野駅も平成になって大分様変わりした。いわゆるエキナカの構内にはさまざまの店ができたし、改札外の駅舎にも商店街のように店が連なっている個所がある。以前は乗降客とは無縁だった駅舎の二階まで食堂街となっている。
上野駅は明治十六年(一八八三)、当時の日本鉄道会社が上野−熊谷間六十一キロ余を開通させて仮開業したのに始まり、本格的に駅舎ができたのは、その二年後だった。以来多くの乗降客を送迎してきたわけだが、そのイメージとしてどこか郷愁を誘うものがある。
今も、昔ながらの地上にある十三番線以降の中長距離列車専用ホームには、そんな雰囲気がかすかにある。その十五番線ホームの末端に、知る人ぞ知る「ふるさとの
この地上ホームは昭和三十年代から四十年代にかけて、多くの集団就職の少年少女が降り立ったところでもある。「金の卵」と呼ばれた彼らは、故郷への思いを胸に抱きながら懸命に働き、日本経済の高度成長を支えた。
どこかに故郷の香りを乗せて入る列車のなつかしさ・・・・・・
井沢八郎が歌った『あゝ上野駅』(関口義明作詞、荒井英一作曲)は、そんな彼らへの応援歌だった。
今、その歌碑が、広小路口を出た右手の広場に建っている。ホームに着いた蒸気機関車の横を「東京都労働局」と書かれた旗を持った人に続く学生服姿の集団を描いた大きなレリーフの下に同じような写真版と共に歌詞が印されているので、すぐ目につく。ここは以前、公衆電話群があって公衆電話の広場と呼ばれた所である。
(掲載号:06月04日号)
