週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
西条八十 かなりや の石碑
今の日本人の大人で、西条八十(一八九ニ−一九七○)が作詩した歌を口ずさまなかった人は、まずいないだろう。童謡の『かなりや』『鞠と殿さま』もそうなら、『東京音頭』『青い山脈』『王将』も彼の作詩である。
こうした数多くの歌の中でも、彼にとって特に思いの深いものがあったようである。その一つが 唄を忘れた
筒井清忠著『西條八十』(中公文庫)によると、当時、彼は不忍池のほとりにあった上野倶楽部というアパートの一室を仕事場としていた。初秋のある日、妻晴子がやってきて部屋の片付けをしている間、八十はまだ乳飲み子だった長女の
このとき、八十の頭の中に十二、三歳のころのクリスマスのときの番町教会の光景が思い浮かんだ。ツリーに飾られた教会の電灯が残らず点灯されていた中で、天井のてっぺんの一つだけが点いていなかったことである。少年八十には、その電球だけ継子扱いされているように見えた。「それからさらに、多くの鳥が歌い交わしている中に歌うべき唄を忘れた小鳥を見るような気持ちが湧きおこったのである。
『唄を忘れた金糸雀』、そうした感じが小鳥好きの少年の胸に湧いたことを、この東照宮の境内で思い出し、石段を下って自室に戻るまでに詩の半ばはまとまりかけていたという」
今、不忍池弁天島の天龍橋手前の茶店横に彼の生前、昭和三十五年に西條八十会が建てた「かなりやの碑」があり、碑面には忘れた唄を思い出す『かなりや』の四番の歌詞が刻まれている。
(掲載号:04月23日号)
