週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

境稲荷 弁慶 鏡ヶ井

 不忍池西岸の不忍通りの一つ西の裏通りにある六阿弥陀の第五番常楽院から少し北へ進むと、左側に赤い鳥居のお稲荷さんが鎮座している。境稲荷神社(池之端一−六−一三)である。鳥居も社殿もまだ新しい感じがするのは、平成五年に戦災後の仮社殿を建て替えたからで、神社の歴史は江戸時代以前にさかのぼることができる。

 創建年代は不明だが、文明年間(一四六九−八七)に室町幕府の九代将軍足利義尚が再建したと伝えられている。社名は、この辺りが忍ヶ岡(上野台地)と向ヶ岡(本郷台地)の境であったことに由来するという。かつての茅野(現池之端一、二丁目の一部)の鎮守として、今も崇敬されている。

 境内の北側の一画、東大付属病院北門のすぐ近くに「弁慶鏡ヶ井」という井戸がある。源義経主従が奥州平泉へ落ちて行く途中、弁慶が見つけて一行が渇きをうるおしたと伝えられている井戸である。

 伝説はともかく、昔は名水として評判だったようである。かつての神社の別当三光寺の山号を「原泉山」といったのも、この井戸に由来したものと推定されている。

 一時、埋め立てられたが、昭和十五年、再び掘られた。それで東京大空襲のときに、火に追われた被災者のために役立ったという。そばの石碑は、再掘削の記念碑である。

 表には「此の井水は往昔より清冽明澄なる事鏡の如く里人呼んで辨慶鏡ケ井と称へたる名水な里・・・・・・」と刻まれている。裏面にある建碑者の連名の中に近隣に住んでいた日本画壇の重鎮横山大観の名も見える。

 現在、井戸はコンクリートのふたがしてあるが、今では懐かしい手動のポンプがあって、それをこげば冷たい水が出てくる。ただし、そばの立て札には「この水は飲めません」とある。

(掲載号:04月09日号)