週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

巨匠が 残した 記念館

 不忍池西岸の不忍通りにある宴会・結婚式場などの東天紅前を少し根津方面へ行くと、同じ側に板塀に囲まれた重厚な感じの二階建ての日本家屋が建っている。

 横山大観記念館(台東区池之端一−四−二四)で、明治・大正・昭和の三代にわたって日本画壇の重鎮だった大観の旧居である。昭和五十一年から美術館として公開され、彼の作品やスケッチ帳、遺品等が展示されている。

 明治元年九月十八日、水戸藩士酒井捨彦の長男として水戸に生まれた彼は本名を秀麿といった。後に上京して母方の姓横山を継いだ。

 同二十六年、第一期生として入学した東京美術学校(現東京芸大)を卒業、五年後、師・岡倉天心の創立した日本美術院に参加、下村観山・菱田春草らと日本画革新運動の主要メンバーとして新時代の日本画の創造に力を尽くした。また、天心一周忌の大正三年には日本美術院を再興した。

 この間、欧米などで展覧会を開催するなど活動は海外にも及んだ。代表作に「瀟湘 (しょうしょう) 八景」「生々流転」などがある。昭和十年、帝国芸術院会員となり、二年後、第一回の文化勲章受章者に選ばれた。

 彼は生活の場であり、仕事場でもあった池之端の家に明治四十二年から住み、戦災後も昭和二十九年に再建した。三十三年二月二十六日死去し、谷中墓地に眠っている。

 千三百八十平方メートルの敷地に建つ延床面積三百十平方メートルの家屋の客間には囲炉裏があって「鉦鼓 (しょうこ) 洞」と名付けられている。大観は明治三十九年、日本美術院の移転によって茨城県の五浦に住み、そのとき住まいの崖下にあった洞くつの名を採ったのだという。

 展示の作品などと共に、各部屋や庭の眺めなども楽しめる記念館といえる。入館料五百円(小学生ニ百円)木・金・土・日曜開館。

(掲載号:04月02日号)