週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

アメ横に 五条天神 旧社地

 現在の上野広小路のABAB辺りにあった江戸六阿弥陀の一つ常楽院の近くには、かつて神社もあった。現在は不忍池に面した上野の山のふもとの忍坂に鎮座している五条天神である。

 同神社は、今も節分に行われる病気の鬼を追い払う古風な追儺 (ついな) 式・ (うけら) の神事が有名である。祭神は医道の神さま少彦名命 (すくなひこなのみこと) (五条天神)と大己貴命 (おおなむちのみこと) (大国主命)で、別に菅原道真も祀られていて『江戸名所図会』に「東叡山の (たつみ) の麓、瀬川氏の地にあり」とある。

 創建年代は不明だが、最初は天神山、現在の摺鉢山にあったが寛永寺開山の頃、黒門近くに移り、さらに元禄十年(一六九七)同社の別当瀬川氏の屋敷に移った。

 そこが、上野の山の南東ということだが、現在地は南西になる。そこで五条天神の次にのっている同書の常楽院の項を見ると「五条天神の南、忍川の向こうにあり」と記されている。

 忍川は不忍池を水源とする昔の小川で、東叡山寛永寺の正面の入り口・現在の上野公園の正面入り口前を横切って流れていた。そこには三つの橋が並んで架かっていて「三橋 (みはし) 」と呼ばれていた。また真ん中の橋は、将軍の行列が寛永寺参拝のときだけ渡る特別な橋で、呼び名は同じだが「御橋」と書いた。

 要するに『江戸名所図会』のいう五条天神の所在地は、現在の広小路にあるヨドバシカメラの辺りになる。今、アメヤ横丁、通称アメ横の上野側入り口近くの同カメラ裏南端の一画に「五条天神社旧趾」の石碑があり、そばに一本のイチョウの木がそびえている。

 同神社が現在地に移ったのは関東大震災後だが、それからも旧地にはその名残があった。五条町という町である。これも昭和三十九年十月になくなり、今は上野四丁目の一部になっている。

(掲載号:03月26日号)