週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

浅草への 地下鉄は 土木遺産

 現在、浅草へ行くための公共交通機関は東京メトロ・都営の両地下鉄、東武鉄道、都営バスなどがある。だが最も利用され、親しまれているのは東京メトロではなかろうか。

 その浅草−上野間二・二キロが開通したのは、昭和二年十二月三十日だった。当時の東京地下鉄道は「東洋初の地下鉄」として宣伝に努めた。

 「地下鐡とはどんなものか、君、地下鐡に乗つたか?……乗りに行つたか等々の會話は昭和二年の暮れから數ケ月に亘つての東京市中のそここ丶にきかれた」

 昭和四年発行の今和次郎編『新版大東京案内』は、当時の地下鉄ブームの様子を伝え、続けてこう記している。

 「その人気者は上野から浅草まで、延長一 (まいる) 三分の交通機關なのである。現在でもまだそれだけの延長に過ぎない。だから一般東京人にとつては、地下鐡の存在價値は玩具のそれだ、科學的玩具としてのそれである。——曰く東洋最初の地下鐡」

 既に市内を縦横に走っていた市電(後の都電)に比べたら、わずか二キロ余りの地下鉄は、遊園地の乗り物みたいな存在だったのだろう。この、今の銀座線の母体ともいえる路線が新橋まで開通したのが同九年六月二十一日で、ややおもちゃ段階を脱した。

 それどころか、この間は神田川の川底を通過するトンネルや日本で初めて採用されたH型鋼を大量に使った鉄鋼 (かまち) 構造など、土木的に貴重な構造物が多数存在している。このため、平成二十年十一月十八日の「土木の日」に社団法人土木学会から、浅草−新橋間が「選奨土木遺産」に選ばれている。

 なお、銀座線が全通したのは、渋谷−新橋間が開通した十四年一月十五日だった。既に日中戦争が始まっていて、戦前の地下鉄はこの路線だけだった。

(掲載号:01月15日号)