週刊誌コラム

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瓢箪池(ひょうたんいけ) 誕生と 消滅と

 浅草の映画街、いわゆる六区のすぐ東側に大きな池があったのを知っている人も少なくなった。

 現在の花やしきの前方、JRA(日本中央競馬会)の場外馬券売場・浅草ウインズを含む一帯が池のあった場所で、正式名は大池だったが、池の形から一般には「瓢箪池(ひょうたんいけ)」の名で親しまれていた。

 明治六年、浅草寺境内は太政官布達によって浅草公園となり、初め第一区から六区に分けられた。やがて六区には、浅草寺奥山の見せ物などの興行が移ることになった。

 だが、当時の六区は浅草田圃の続きみたいな湿地帯だった。そこで近くに池を掘り、掘った土で興行街を造成することにした。明治十八年のことである。

 池の中央には、中の島が築かれた。橋が架けられ、藤棚が設けられた。開花時には、多くの花見客が詰めかけた。同二十三年、近くに凌雲閣(りょううんかく)、いわゆる十二階が建設されると、水面にその姿が映り、景観に花を添えた。瓢箪池は浅草の名所となった。

 十二階は関東大震災で大被害を受けて取り壊されたが、瓢箪池は戦後もしばらくは存在した。しかし、戦災の瓦礫などが池の周囲に積まれたり、不法占拠者が集まって環境が悪化した。

 そんな折の昭和二十五年、東京都から元の境内地が浅草寺に返還された。当時は浅草寺が戦災で焼失した本堂の再建費用の工面に追われているときでもあった。池を埋め立てて売却し、本堂再建の費用に充てることになった。埋め立て反対運動も起こったが、同二十六年、瓢箪池はとうとう姿を消した。誕生してから六十六年後のことだった。

 今、六区に面したウインズ浅草の前に「瓢箪池と凌雲閣」という標識が建っていて、かつての名所をかすかに偲ばせている。

(掲載号:11月27日号)