週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

鎮護道 幇間塚 大銀杏

 浅草公会堂などが建ち並ぶオレンジ通りを北へ行くと、浅草の本坊・伝法院の通用門に突き当たる。その門の西隣の一画に、通称「おたぬきさま」と呼ばれる鎮護堂が鎮座している。

 浅草寺発行の『図説浅草寺』などによるその由来は——
明治の初め、彰義隊の戦争で上野の山を逃げ出した狸が浅草寺の奥山に住みつき、参拝者などに盛んにいたずらをした。たまたま、来日したフランスの曲馬団が大砲の空砲を撃っても、いたずらはやまなかった。

 ところがあるとき、当時の住職唯我韶舜(ゆいがしょうしゅん)僧正の夢枕に狸が立ち「私たちを保護してくだされば、伝法院を火災から護ります」といった。そこで狸を「鎮護大使者」と名付けて祀ったら、いたずらはぴたりと治まった。明治十六年のことで、以来、防火・盗難よけ・商売繁盛などのご利益があるとして信仰されている。

 拝殿から金網越しに見える現在の入母屋造りの本殿は、大正二年に再建された。その前や拝殿横には、狸の置物が愛嬌をふりまいている。

 境内の伝法院通用門寄りには幇間(ほうかん)、いわゆる太鼓持ちの由来と多くの幇間の名前が刻まれている幇間塚が建っている。幇間を「たぬき」とも呼んだところから昭和三十八年、ここに建てられたもので、表面に「またの名のたぬきづか春ふかきかな」という久保田万太郎の句が刻まれている。

 樹齢四、五百年と推定される大銀杏もそびえている。浅草寺本堂などが焼けた昭和二十年三月の東京大空襲のときに鎮護堂を守った神木といわれ、幹に何か所かそのときの焼け跡が残っている。

 破損した首と胴をつないだので加頭(かとう)地蔵と呼ばれる地蔵像も安置されている。「首がつながる」ということでサラリーマンから信奉されているそうである。

(掲載号:11月06日号)