週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
聖徳寺 水の恩人 玉川兄弟
幕末の剣豪島田虎之助や
徳川四代将軍家綱のとき、神田上水に次ぐ江戸の上水道・玉川上水を開削したといわれる玉川庄右衛門、清右衛門の墓所で、門を入った左の一画に二人の墓が並んで建っている。兄庄右衛門は元禄八年(一六九五)、弟清右衛門はその翌年に死去したそうで、二つの古びた墓石は、関東大震災で倒壊したのを昭和十二年、玉川兄弟墓碑復興後援会が修復したもので、都の旧跡に指定されている。
この玉川兄弟の事績は、『武江年表』にも載っている。また聖徳寺が出しているパンフレットには兄弟は同寺が日本橋馬喰町にあったときからの檀徒だったと書いてあるが、実のところ、兄弟の経歴はよくわからない。
徳川将軍家の正史『徳川実紀』承応二年(一六五三)正月十三日の項に「麹町。芝口の市人等。八王子玉川の水を府内にひかんことをはかりて。うたへ出しをゆるされ。費用とて金七千五百両給付」とあり、翌年六月二十日の項には「この日去年命ぜられし玉川上水成功せしにより。其の事奉はりし市人へ褒金三百両下さる」と記されている。
この間玉川上水関係の記述で人名の出てくるのは、玉川水道奉行に関東郡代伊奈半十郎忠治が命じられたというものだけである。つまり市人の名前は全く記されていない。
ただ昭和七年東京市役所発行の『大東京概観』は玉川上水の設計者に兄弟の名を記し、明治四十四年、二人に従五位が贈られたと記録している。今、墓石の大名級の立派な戒名には、それぞれ従五位の字が入っている。
(掲載号:10月30日号)
