週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

名人 圓朝 止め名

 日本画家の鏑木清方 (かぶらぎきよかた) が『三遊亭圓朝像』という名作を残している。

 両膝を揃えて座布団に座り、両手で大きな湯呑みを支えるようにして口もとに運んでいる。圓朝の左脇に高い燭台があり、蝋燭の赤い炎がまっすぐ上に伸びている。風がなく、室内の空気がピンと張りつめていることがわかる。

 鏑木清方の父、条野採菊 (じょうのさいきく) は明治初年の新聞経営者の一人で、圓朝の口演を速記に取って『やまと新聞』に連載、浮世絵師の月岡芳年 (つきおかよしとし) の挿絵で大当たりを取った。速記取りは清方の自宅で行われたので、清方もしばしば同席していた。

 関根黙庵著『講談落語今昔譚』(東洋文庫)に興味深いエピソードがある。

 圓朝の人気は絶大で、圓朝が高座に上ると客席の後ろが二分通り空いた。客が帰ったのではなく、客の多くが少しでも高座に近づこうと自然に「お膝送り」(畳敷きの客席で、少しずつ詰めあう客席用語)していたからだという。

 明治十七年、速記法研究会を創立した若林 (わかばやしかんぞう)は、速記を普及させる近道として圓朝の落語を選んだ。圓朝は若林の速記を見て、自分の口演そのままなのにビックリし、若林が議会の速記にも必要であることを説明すると、「今晩からは楽屋からお入りになって高座の後ろでお書きになれば御便宜でございましょう」と特別な扱いを取った。明治十七年刊行の「牡丹燈篭」は、「我国講談落語速記の濫觴 (らんしょう) 」と関根は強調している。

 鏑木清方の圓朝像には、落語の名人に加えて、傑出した文人の風格が漂っている。圓朝は、元老の井上馨、元日銀総裁の川田小一郎、三井物産の馬越恭平、旧幕臣の山岡鉄舟らと、芸人ではなく友人の交わりを持ったという。

 圓朝の名称は落語界で襲名を禁ずる「 () () 」の扱いを受けている。

(掲載号:09月25日号)