週刊新潮「タワークレーン」
花園公園 三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう) 旧居のあと
東京メトロ丸の内線の新宿御苑前駅を出て、北東方向の花園小学校に向かって五分も歩くと、ケヤキの大木に囲まれた区立花園公園(新宿区新宿一−二一)がある。小学校、幼稚園の用地と公園が一体化整備された、都心には珍しいこざっぱりした緑の空間である。
公園の入口に「三遊亭圓朝舊居趾(」の石碑が立ち、かたわらの解説板に「このあたりは明治落語界を代表する落語家三遊亭圓朝(一八三九−一九〇〇)が明治二一年から二八年まで住んだところである」という説明がある。
圓朝は本名出淵次郎吉(。祖父は武家に生まれたが、妾腹だったため家督を継げず、父が橘屋圓太郎と名乗って落語界に入ったので、数え七歳のときから小圓太(の名で初高座を踏んだ。抜群の記憶力と研究熱心で頭角を現し、芝居さながらの書割や鳴り物に趣向を凝らした鳴物噺(で落語に新風を吹き込んだ。
圓朝が名人の名を擅(にしたのは『怪談牡丹燈籠』『塩原多助』など自作自演の傑作多数を生み出し、さらに円熟期には道具噺(から一転、扇子一本の素噺(に転向して、絶品の人情噺を演じたからである。
自作自演に踏み切るきっかけも凄みがある。師匠の二代目三遊亭圓生が二十一歳の圓朝に真打を譲り、自分は中入り前に回ってくれた。師匠は圓朝の用意する道具噺とは別の噺をすると約束しながら、毎回まったく同じネタを演じる。圓朝の噺はいつも二番煎じである。これを防ぐには、師匠が口演できない新作で対抗する他ない。こうして『累ヶ淵(』などの自作自演への道が切り開かれたという。
夏目漱石は「僕は芝居を見るくらいなら落語を聞きに行く」と公言しているが、うまい役者の演技を「圓朝其のままだ」と褒めている。圓朝の人情噺を高く評価していたことがよく分かる。
(掲載号:09月18日号)