週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
心揺すぶる 野口英世の 母の手紙
心を込めた文章には、技術を超越した迫力がある。文字の巧拙なども問題外になる。その例によく挙げられるのが野口英世の母シカが在米中の英世に宛てた手紙である。
<おまイのしせにわ(おまえの出世には)みなたまけました。わたくしもよろこんでをりまする。なかた(中田)のかんのんさまにさまに( この部分重複)ねん(毎年)よこもり(夜籠り)をいたしました(後略)>(注は野口英世記念館ガイドブックを参照)
明治四十五年(一九一二)、六十歳の母が幼いころに習った字を思い出し、一生懸命練習を繰り返して綴った文章で、たどたどしいが、英世の脳裡には郷里の観音様に祈る母の姿が痛いほど思い浮かべられたはずである。このあとに、
<はやくきてくたされ、はやくきてくたされ、はやくきてくたされ、はやくきてくたされ、いしよの(一生の)たのみてありまする>
と、「早く帰ってきてくだされ」を四回繰り返し、英世の帰国を催促する。達人の名文も及ばない、切々とした心情の伝わる文章といえるだろう。
英世は大正四年(一九一五)学士院恩賜賞を受賞して十五年ぶりで帰国、郷里に帰って母を喜ばせるが、再び渡来した。母シカは大正七年、六十六歳で他界している。
野口英世は平成十六年、千円札の肖像に登場、さらに政府が制定した野口英世アフリカ賞(五年ごとに授賞、賞金一億円)の第一回表彰が平成二十年に横浜で開催されたアフリカ開発会議の際に行なわれ、同時に記念切手が発行されるなど今も脚光を浴びている。
野口英世記念館は郷里の福島県猪苗代町にあるほか、東京都新宿区だいきょうちょう大京町二六に野口博士資料展示室、横浜市金沢区長浜にゆかりの旧細菌検査室(青年時代の博士が勤務)があって、その足跡を偲ぶことができる。
(掲載号:09月04日号)
