週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

家康の鉛筆 新宿内藤町 近代の鉛筆

 日本に現存する最古の鉛筆は徳川家康の所持品(重要文化財)で、静岡の久能山東照宮が秘蔵しているが、平成十九年に東京国立博物館で開かれた「大徳川展」に展示された。

 同展の図録によると、長さ十一・四センチの赤樫の軸木に長さ六センチのメキシコ産純黒鉛の芯がはめ込まれているという。渡来の経緯ははっきりしないが、オランダの献上品なのだろう。太めの芯が武骨な感じで芯の先は削られている。家康遺愛の硯箱に筆などと一緒に納められていたというから家康の愛用品らしい。

 伊達政宗の墓所から発掘された鉛筆もよく知られている。舶来品に戦国武将の好奇の目が注がれたのも理由の一つだろうが、墨やインクが不必要な筆記具があわただしい戦陣で部下の戦功をこまめにメモしておくのに珍重されたとも考えられる。鉛筆を持つ家康や政宗がいたのは事実である。

 西欧では、持ち運びが簡便でインクのいらない筆記具が改良され、普及した。十八世紀末、イギリスと戦端を開いたフランスは、英国産の良質な黒鉛が輸入できなくなり、窮余の末、黒鉛に粘土を混ぜて焼成する方法を発明、近代的は鉛筆の芯が誕生した。これなら混合の比率しだいで芯の硬軟も調整できる。発明者のニコラ・ジャック・コンテの名は画材の名称にも残る。

 明治初年、パリの万博を視察した佐賀出身の眞崎仁六 (まさきにろく) は鉛筆を見て感動し、独学で製造法を研究し、明治二十年(一八八七)新宿区内藤町に眞崎鉛筆製造所(現・三菱鉛筆株式会社)を興した。玉川上水の分水を利用した水車を動力としており、日本での鉛筆量産の始まりだった。

 平成十八年、三菱鉛筆は創業百二十周年を記念して、ゆかりの地の多武峯内藤神社 (とうのみねないとうじんじゃ) (新宿区内藤町一番地)隣接の児童遊園内に「鉛筆の碑」を設置した。

(掲載号:08月28日号)