週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

芝居に なった 天明の心中

 天明五年(一七八五)の旗本藤枝外記と新吉原大菱屋の遊女綾衣(あやぎぬ)との心中は、当然江戸中の評判になった。早速、山東京伝がこの事件を暗にほのめかした読み物を書いたり、浄瑠璃の新内で語られもした。

 芝居にも恰好の題材と思われたが、劇化はされなかった。心中の一方が禄高四千石の大身の旗本ということで芝居の作者が幕府に配慮したということもあった。だが享保年間(一七一六−三六)から、心中は「相対死(あいたいじに)」として当事者の葬式が許されないなど厳しい規制がとられていたことが大きかったようである。

 天明の心中が芝居に脚色されたのは、明治四十四年のことだった。作者は岡本綺堂、同年五月号の『演芸画報』に掲載され、十月、東京・明治座で二代目市川左団次一座によって初演された『箕輪の心中』(三幕七場)で、現在もときどき上演される。

 芝居では、実話と違うところがいろいろある。まず四千石の藤枝家を五百石とし、湯島三組町の屋敷を麹町にした。心中の場所は「浅草田圃と云ふと今日の千束町を聯想して何だか俗っぽく感じられるので、近所の箕輪田圃といふことにした」(『綺堂劇談』=青蛙房)。箕輪は今の台東区三ノ輪で、そこにある外記の乳母の家という設定である。

 心中の日を一か月早めて盂蘭盆の七月十三日としたのは「精霊棚や盆灯籠や迎ひ火や、色々の芝居らしい道具が揃ふので」との理由で、事実、これが劇的効果を高めている。

 乳母がたく迎い火の煙の中、忍びやかに出てくる外記。白い着物姿なので、乳母は幽霊ではないかと驚く。「幽霊かも知れぬよ。……むかい火の烟に迷って来た」。

 やがて、白い蓮の花びらをまいた座敷で外記と綾衣は心中する。 君と寝やろか五千石とろか……の唄がどこからか聞こえてくる。幕。

(掲載号:08月14日・21日合併号)