週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

旗本と 遊女の 悲恋

 君と寝やろか五千石とろか何の五千石君と寝よ

 湯島三組町(現文京区湯島二、三丁目)に屋敷を持つ四千石の旗本藤枝外記は、盆のお飾りを売る草市で見染めた新吉原大菱屋の遊女綾衣 (あやぎぬ) に通い詰めた。これが評判になって、唄にまでなった。

『岡本綺堂 江戸に就ての話』によると、将軍にお目見えできる格式を持つ直参旗本の中で禄高五百石以上を「お歴々」と称し、千石以上を「大身」といったという。さらに「旗本も四千石となると立派なもので、殆んど一種の大名のようなものです」とある。

 そんな身分の外記が、綾衣を大菱屋から連れ出し、通称浅草田圃・千束村の農家にかくまってしまった。ただ遊女たちへの廓の監視は厳重で、そこから彼女を連れ出すのは容易なことではない。

 これについて江戸に詳しい三田村鳶魚は『足の向く儘』で、当時、新吉原は火災直後で遊女屋は仮宅 (かりたく) 、つまり新吉原以外の土地での仮営業中だったので、それができたのだろうと記している。大菱屋の仮営業地は両国、現在の中央区東日本橋で、出入り口が一つしかない廓と違い、かなり開放的だったようである。

 もっとも綾衣の隠れ家は、間もなく大菱屋に見つかってしまった。外記の不始末も親族の間で問題になった。表沙汰になれば、ただでは済まされない。二人は心中を決意、天明五年(一七八五)八月十三日、外記は刀で綾衣を刺した後、切腹して果てた。

 外記は二十八歳、綾衣と同年の十九歳の妻みつがいたといわれている。外記は養子で、みつも藤枝家の娘ではない。こうした事情から、事件は藤枝家内部のごたごたが原因との見方もあるが、真相は不明という他はない。

 同家は改易、妻や養母は親類に引き渡されて押し込め処分になった。

(掲載号:08月07日号)