週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

坂づくし 逢坂から 焼餠坂へ

 新宿歴史博物館が編集した「史跡めぐり地図」(1部300円)がある。区内地図に史跡ポイントがわかりやすく表示してあり、裏面に史跡めぐりの10コースが紹 介されている。区内の主な坂(80か所)の一覧表もあって、名称、場所、由来が要領よく説明してあるのが便利である。

 たとえば永井荷風が『日和下駄 (ひよりげた) 』で挙げた絶景の浄瑠璃坂 (じょうるりざか) 逢坂 (おおさか) を見てみよう。

 浄瑠璃坂−市谷砂土原町 (いちがやさどはらちょう) 一丁目と二丁目の境を北へのぼる坂−坂上で「あやつり浄瑠璃」の小屋興行を行なったため。近くにあった光円寺の本尊薬師如来(東方浄瑠璃世界の主)から等の諸説あり。

 逢坂−市谷船河原町 (いちがやふながわらまち) を西へのぼる坂−昔、小野美作吾 (おのみさご) という人が武蔵守となり、この地にきた時、美しい娘と恋仲になり、のちに都に帰って没したが、娘の夢により、この坂で再び逢ったという伝説から。

 新宿区に王朝のロマンや江戸の浄瑠璃興行に因む坂があるのは楽しい。もっとも逢坂は滋賀県の逢坂関をはじめ各地にあり、いずれも大坂の当て字らしい。横関英一『江戸の坂東京の坂』(中公文庫)は、もとの大坂に逢坂の字を当てることからロマンチックな物語が生まれたものと推定している。江戸前期の地誌『 (むらさき) 一本 (ひともと) 』にも悲恋伝説が出ていて話題の坂だったようだ。

 江戸っ子の暮らしぶりがそのまま伝わってくる坂の名も多い。鰻のように曲折している鰻坂、細くて狭い坂は鼠坂、樹木の覆いかぶさっている暗坂 (くらやみさか) あるいは闇坂 (くらやみさか) 、急坂なので念仏を唱えながら往来したという念仏坂、急な段が続く梯子坂と自由自在である。

 都営大江戸線牛込柳町駅に近い大久保通りに焼餠坂がある。江戸中期の地誌『続江戸砂子 (えどすなご) 』に、焼餠を売る店があるからだと出ている。どんな焼餠だったのか。こちらには伝説はない。

(掲載号:05月01日・08日合併号)