週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

荷風絶賛 坂の東京 坂の新宿

 日本は四季の変化に富んでいる。しかも、海に囲まれた島国で地勢も複雑だから、日本語には自然を表わす語彙が多いという。金田一春彦は『日本語・新版(上)』(岩波新書)で次のような指摘をしている。

<「坂」という何でもない日本語も、他の言語には少ない単語である。少なくとも英語やフランス語にはない。サイデンステッカーによる『雪国』の翻訳では「坂」をhillと訳してあった。(中略)パリのモンマルトルの丘に登る坂に名前がないのは不思議である。日本では東京など「神楽坂」「一口坂」「団子坂」などいくらでも坂がある。>

 永井荷風は大正初年の東京風景を巧みにスケッチした随筆『日和下駄(ひよりげた)』のなかに「坂」の項目を設けた。<東京市は坂の上の眺望によって最もよく其の偉大を示すと云ふべきである>と書き、江戸以来親しまれてきた坂を具体的に列挙している。次はその一例。

 <()()れ名月皎々(こうこう)たる夜、牛込神楽坂浄瑠璃坂左内坂(じょうるりざかさないざか)また逢坂(おおさか)なぞのほとりに(たたず)んで御濠(おほり)の土手のつづく限り老松の婆娑(ばさ)たる影(しずか)なる水に映ずるさまを眺めなば、誰しも東京中に(かく)の如き絶景あるかと驚かざるを得まい>

 荷風は明治四十一年、欧米の旅から帰国すると、新宿区余丁町(よちようまち)の父の屋敷に住んだ。だから、このあたりの四季の移り変わりに通じていたのは当然である。

 荷風の生活は自由奔放で住居も転々としたが、実父が他界したあと余丁町の家に戻り、新築の離れを書斎とし「断腸亭(だんちようてい)」と称した。胃腸病に悩んでいたためで、その日記も『断腸亭日乗(にちじよう)』と名づけている。

 都営新宿線曙橋駅から台町坂(だいまちざか)を上り、余丁町通りを抜弁天(ぬけべんてん)に向かって西に歩くと、通りの北側に「永井荷風旧居跡」の標識が目に入る。しかし、残念ながら旧居の面影はすでにない。

(掲載号:04月24日号)