週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

山車が 名物の 三社祭り

 今は毎年五月中旬の日曜日を中心に挙行される浅草神社の三社祭りは、何といっても神輿が名物である。三基の本社神輿の他に百以上もの町神輿が繰り出し、浅草中が神輿一色に塗りつぶされる。

 ところが、江戸時代の三社祭りは、期日も隔年の三月十八日だったし、中身も現在とは違っていた。江戸の祭り名物は、「天下祭り」と言われた日枝神社の山王祭り、神田明神の神田祭りに代表されるように、山車が中心だった。三社祭りも例外ではなく、神輿は、本社神輿だけだったようである。

 「今日神輿三基浅草大通りを浅草御門迄渡しまゐらせ、同所より船にうつし、大川筋へ出、花川戸と山の宿 (しゆ) の間より陸へ上りて、随身門より還御あり。・・・・・・又産子の町々よりは出しねりもの等に善美を盡し、一時の壯觀をなす」

 『東都歳事記』三月十八日の項で、浅草御門は現在の浅草橋、山の宿は花川戸の北に接する隅田川縁の町、随身門は今の二天門である。

 本社神輿は浅草橋から船に移され、隅田川をさかのぼって神社に帰った。これを「船祭」といった。このとき、今の大田区六郷、大森辺の漁師たちが船を出して神輿が乗った船のお供をした。漁師の先祖が浅草から移住したゆかりによるものである。

 一方、山車は行列を作って浅草の街を練り回った。その名残が日本舞踊「三社祭」の振りの中にある。

 踊りでは、最初に浅草寺の観音像を網に掛けた漁師二人が船に乗って出てくる。このとき二人は体を揺すっているが、これは船で体が揺れているのではない。神功皇后・武内宿禰の山車人形の踊りから引き抜いて二人の漁師に変わったので、山車人形が揺れているさまを表している。

 三社祭りも、山車が名物だった。

(掲載号:04月17日号)