週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

浅草寺 新奥山 金石碑

 浅草寺本堂の南西、「捕物帳」の元祖・岡本綺堂作『半七捕物帳』ゆかりの半七塚がある一画は、新奥山と呼ばれている。ここには、半七塚の他にも銅像や石碑類などが数多く立っている。

 入り口右手にすぐ目につくのは、着物姿できちんと正座した姿の瓜生岩子(一八二九-九七)の銅像である。現在の福島県出身の彼女は現代福祉事業の先駆者で、半生を孤児や貧困者の救済、傷病兵看護、病院建設などに捧げた。

 銅像は、彼女の死後四年の明治三十四年に篤志家によって建てられた。台石には、皇族子女の教育に尽くした教育家下田歌子(一八五四‐一九三六)の撰文が刻まれている。

 半七塚が立つ西には、江戸時代前期の歌学者で江戸の地誌『(むらさき)一本(ひともと)』の著者戸田茂睡が建てた五輪塔がある。標示には茂睡の墓とあるが、彼が長命を願って生前に造った寿碑である。

 瓜生像の向かい側には、かなり大型の「三匠の句碑」と呼ばれる文化六年(一八〇九)に建てられた石碑がある。三匠とは俳人の西山宗因、松尾芭蕉、榎本其角のことで、碑面にそれぞれの句が刻まれている。

 ながむとて 花にもいたし 頸農(くびの)骨 宗因

 花の雲 鐘は上野か 浅草か 芭蕉

 ゆく水や 何にとゞまる 乃里(のり)の味 其角

 他に、桜の花を詠んだ三十六首の歌が大亀の背に据えられた石に刻まれた文化十四年建立の「三十六歌人の碑」もあれば、正岡子規の「観音で雨に逢ひけり花盛」の句碑もある。

 映画弁士塚という一際大きな石碑には、徳川夢声、生駒雷遊など無声映画時代の名弁士たちの名がずらりと刻まれている。碑銘は元首相鳩山一郎の書で、昭和三十三年に建てられた。

(掲載号:04月10日号)