週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

浅草で 半七と 出会う

 江戸の捕り物を題材とした「捕物帳」の元祖は、岡本綺堂(一八七二-一九三九)作の『半七捕物帳』といわれている。この捕物帳は、大正六年一月号の『文藝倶楽部』に掲載された「お文の魂」を皮切りに『講談倶楽部』昭和十二年二月号の「二人女房」まで六十九編に及んでいる。

 各編のほとんどは、綺堂自身と見られる若い新聞記者が神田三河町の元岡っ引きの半七老人から聞いた話という設定になっている。

 二人が出会ったのは、綺堂の『半七紹介状』(河出文庫『江戸のことば』所収)に明治二十四年四月第二日曜日のこととある。花盛りの昼時、浅草公園弁天山の料理屋に入った綺堂が、混み合う店内で偶然隣り合わせたのが半七老人だった。急速に親しくなった二人は向島まで足を伸ばして浅草に戻り、「 (やつこ) うなぎ」で夕飯を食べ、相乗りの人力車で麹町と新宿のはずれのそれぞれの家に帰った。

 「言問では団子の馳走になり、奴では鰻の馳走になり、帰りの車代も老人に払わせたのであるから、若い記者はそのままでは済まされないと思って、次の日曜に心ばかりの手みやげを持って老人をたずねた」

 この出会いのように、『半七捕物帳』には浅草周辺がよく出てくる。その地理は正確で、『江戸名所図会』を熟読した綺堂は「ここ(同書)に描かれた江戸の姿を、おもしろく現代に紹介する方法はないかと思案、その結果、『半七捕物帳』にその答を見出したと伝えられている」と、江戸に詳しい今井金吾氏は『「半七捕物帳」江戸めぐり』(ちくま文庫)に書いている。

 今、浅草寺境内の淡島堂南側の一画に昭和二十四年、捕物作家クラブ同人が建てた半七塚がある。また鰻の「やっこ」は、雷門通りが国際通りと突き当たる手前の北側で現在も営業している。

(掲載号:04月03日号)