週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

六角堂 石橋 西仏板碑

 浅草寺本堂の西側にある影向堂(ようごうどう)は、平成六年、針供養で知られる淡島堂(あわしまどう)が鎮座していた場所に新築された。淡島堂はさらに西に移ったが、その一画にあった他の建造物は多少の移動はあったものの新影向堂周囲に残された。

 六地蔵が彫られている六角形の石灯籠もその一つだが、ここにはもう一つ六角の建物がある。都指定の有形文化財になっている古びた木造の六角堂である。単層・瓦葺きの建物は、文化十年(一八一三)編纂の『浅草寺誌』に、元和四年(一六一八)の建立と記録されているという。

 堂に祀られているのは、日限(ひぎり)地蔵尊と呼ばれている木造の地蔵像である。制作年代は不明だが、願い事を日限を定めて祈願すれば必ず叶うという有り難いお地蔵さまと伝えられている。

 影向堂南東の立入禁止区域内の池に架かっている石橋も一見の価値がある。長さ三・三メートル、幅二・二メートルのこの橋は、浅草神社入り口東にあって国の重要文化財になっている二天門と共に浅草寺境内に東照宮があった名残である。

 徳川家康を祀る浅草寺内の東照宮は元和四年、現在の影向堂付近に建立されたが、寛永八年(一六三一)、同十九年の二度の火事で江戸城内の紅葉山に移された。石橋はこの東照宮が建立されたとき、当時の和歌山城主浅野長晟(ながあきら)から寄進されたという。

 東照宮があった当時、参拝者は随身門だった今の二天門をくぐり、この石橋を渡って社頭にぬかずいたわけである。

 橋近くの池のほとりには、都有形文化財の高さ二・二メートル、幅五十センチもの「西仏(さいぶつ)板碑」が建っている。様式から鎌倉時代のものと推定され、鎌田三郎入道西仏という人物が妻子の後生安楽を願って建てたものと伝えられている。

浅草寺境内でも見どころの多い一画である。

(掲載号:03月27日号)