週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

安藤鶴夫と たいやきの しっぽ論争

 平成二十年一月、通常国会の経済演説で大田経済財政相が「残念ながら日本経済はもはや一流ではない」と言及してニュースになった。昭和三一年(一九五六)の経済白書の「もはや戦後ではない」という宣言と対比して論じるメディアも多かった。

 戦後に作家・劇評家として活躍した安藤鶴夫が、昭和二八年三月の読売新聞朝刊「味なもの」欄に『たいやき』という一文を寄せた。自宅(新宿区若葉一-一四)近くの小さなたいやき屋を取り上げ、<(たいやきの)しっぽからたべたら、しっぽのはじっこまで、見事にあんこが入っていた。ぼくはたいやき (つう) では決してないが、戦争この方、もう永い間、たいやきのしっぽにあんこの入っているのをたべたことがない>と書いた。

 これが安藤自身がびっくりするほどの反響を呼んだ。たいやきのしっぽにまであんこが入っているのが果たして正統なのかどうか。たいやきはしっぽから食べるものなのか、頭から食べるものなのか。よほどの難問とみえて、たいやき通の間ではいまだに論議が絶えないようである。

 ただ安藤が言いたかったのは別のことで<一つ金十円也のたいやきにうまいまずいをいうのではない。ぼくはそのたいやきに、人間の誠実を味わった>と念を押している。ちょうど戦後の混乱期を抜け出す時期に当たっていた。

 安藤が文京区茗荷谷から新宿区若葉に転居したのは昭和二七年のことで、須貝正義『私説安藤鶴夫伝』(論創社)によると、運よく住宅公庫の抽選に当たって六十九万円の融資を受け、新居の土地が六十坪で坪七千円だった。

 伊賀忍者のリーダー服部半蔵の墓がある西念寺 (さいねんじ) に近く、若葉の町名は昭和十八年に南伊賀町、仲町などが合併したときに草木の成長にあやかって命名している。

(掲載号:03月20日号)