週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

西條八十 銀座の柳 青い山脈

 唄を忘れた金糸雀 (カナリア は・・・・・・と歌いだす『カナリア』(西條八十作詞、成田為三作曲)は大正七 年(一九一八)児童雑誌『赤い鳥』に掲載され、華やかな歌詞が評判を呼んで曲がつけられた。日本で曲がついた最初の童謡といわれる。 「唱歌」が独占していた子どもの歌に新しい世界を開いたのである。

 西條 (さいじょう 八十 (やそ は明治二十五年(一八九二)牛込の 払方町 (はらいかたまち (現・新宿区払方町)の生まれ。実家は牛込の旧家で、石鹸工場を経営していた。 八十という名には「九(苦)」を抜いてという親の願いがこめられていたそうだが、実兄の放蕩で家産が傾き、生計は若い八十の肩にかかった。

 早稲田中学在学当時から師の吉江喬松 (よしえたかまつ (のち早稲田大学仏文教授)に詩才を認められ、 フランス留学ののち早稲田大学仏文学科の教授になっている。象徴派の詩人アルチュール・ランボオ研究の大著などを残しているが、童謡 から新民謡、流行歌にわたる作詞活動がよく知られている。

 『東京行進曲』(昔恋しい銀座の柳)、『東京音頭』(ハアー踊り踊るなら)、『愛染かつら 旅の夜風』(花も嵐も踏み越えて) ・・・・・・。西條八十の作詞で今も歌い継がれるヒット曲は数え切れない。大学教授と売れっ子作詞家という二つの顔に疑問の声も出たが、大 衆に喜ばれる歌をめざした八十の信念は揺るがなかった。

 日本が敗戦に打ちひしがれた時代、全国で爆発的にヒットしたのが「若く明るい歌声に」と歌いだす『青い山脈』(西條八十作詞、服部 良一作曲)だった。昭和二十四年、石坂洋次郎の小説を原作にした東宝映画の主題歌である。

 八十の心を、吉川潮『流行歌 (はやりうた  西條八十物語』(新潮社)は次のように読み解いている。

 <軍国主義は着古した服のようなもので、捨ててしまっても惜しくない。「古い上衣 (うわぎ よ、さよう なら」だ>

(掲載号:03月13日号)