週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

神楽坂育ち 新派の女優 水谷八重子

 新派の大女優、初代水谷八重子は明治三十八年(一九〇五)新宿区神楽坂で時計商を営んでいた松野豊蔵の次女に生まれた。八重子が六歳のとき父が他界したため、八重子は母とともに姉の嫁ぎ先である水谷家に引き取られた。

 義兄の水谷(みずたに)竹紫(ちくし)(本名・武)は早稲田大学文学部で坪内逍遥に師事、逍遥の指導する新劇運動に参加し、演劇評論家としても活躍していた。島村抱月と女優の松井須磨子が芸術座を結成したときには、竹紫が理事で運営に当たった。

 八重子は昭和四十五年の『私の履歴書』(日本経済新聞連載)の中で<牛込の矢来町で育った私には、神楽坂の夜店の灯、江戸川の流れなどが懐かしい>と書いているが、幼い八重子の遊び場は、義兄のいる芸術座の稽古場ということが多かった。

 芸術座の勉強会でトルストイの『闇の力』を上演したときだった。間に合わせの子役でかり出された八重子は、赤い鼻緒の楽屋ぞうりをつっかけたまま舞台に出そうになった。子供心にハッと気づいた。ロシアの芝居に鼻緒の赤いぞうりはおかしい。積みわらの陰ではだしになった。<幕がおりたあとで、島村先生に「えらかったよ」と頭をなでられた>と八重子の回想。八重子は数えの十二歳だった。

 その年、芸術座のトルストイ『アンナ・カレーニナ』帝劇公演で初めて水谷八重子の芸名を名乗って出演した。むろん義兄の竹紫の姓を借りたものだが、松井須磨子演ずる主役アンナの息子役で、主演と競演する大役だった。舞台のあと、須磨子は「はい、ご褒美」と八重子にお菓子をくれたという。

 「カチューシャの唄」で一世を風靡した須磨子、その作品で知られる中山晋平、名優の澤田正二郎、友田恭助など八重子の周囲を当時の花形が取り巻いている。

(掲載号:03月06日号)