週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
奥山の 楊枝店 柳屋お藤
江戸時代中期の明和年間(一七六四-一七七二)、江戸に明和の三美人といわれる三人の美女がいた。谷中は笠森稲荷境内の水茶屋「鍵屋」のお仙、浅草奥山の楊枝店「柳屋」のお藤、浅草寺仲見世の東裏通りにあったという二十軒茶屋の一つ「蔦屋」のおよしの三人である。
なかでは、鈴木春信の錦絵にも描かれたいわゆる笠森お仙が有名だが、他の二人もなかなかの美人で、特にお藤はお仙と並び称されたほどの美女だった。
お藤が働いていた楊枝店は、奥山といった浅草観音の本堂裏にあった。江戸時代から明治にかけて、奥山一体は江戸・東京指折りの盛り場だった。各種の食べ物屋の屋台、見世物小屋、揚弓場などが軒を並べ、これらに混じって居合抜きやコマ回しらの大道芸人も集まって、晴天でさえあれば雑踏が絶えなかったという。
奥山でも、楊枝店は特異な存在だった。『江戸名所図会』の「浅草寺」の項に、店の説明付きの挿絵が載っている。「境内楊枝を
この後「口臭からず」など商品の五つの効用を挙げている。当時の楊枝は、爪楊枝というより現在の歯ブラシみたいに使われていたものが主体だったのだろう。だが、楊枝商売は表向きで、ほとんどの店は若い女性が接客に当たり、色を売り物としていた。
お藤の店も同様で、店はイチョウの木の下にあったので銀杏娘とも呼ばれた。そのお藤は、三美人ともてはやされている最中、こつ然と姿を消してしまった。お仙も突然いなくなったことで評判となったが、これは幕府のお庭番との結婚のためだった。お藤の場合は全く原因不明、謎に包まれたままである。
(掲載号:02月14日号)
