週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

貧乏書生の 中山晋平と カチューシャ

 明治三十八年(一九〇五)、欧州留学を終えて帰国した三十四歳の島村抱月(しまむらほうげつ)は、母校の早稲田大学教授として美学、英文学、近世文芸史などを講じるとともに雑誌『早稲田文学』の編集を担当、さらに恩師坪内逍遥を中心にする新劇運動にも参画するという多彩な活躍ぶりを見せた。

 多忙な毎日で「信頼できる書生が欲しい」と周囲に声をかけると、実弟が信州の新野(しんの)村(現・長野県中 野市)で高等小学の代用教員を務めている十八歳の青年を紹介した。これがのちに『しゃぼん玉』『証城寺の狸囃子』『東京行進曲』など多数の名 曲を生んだ中山晋平だった。

 晋平は期待に応える誠実な青年だった。牛込原町(新宿区原町)の抱月宅で家事の手伝い、赤ちゃんの世話、雑誌の編集助手、原稿の清書と骨惜しみをしない。しかも、中古のオルガンを入手、玄関わきの部屋に置かしてもらい音楽学校受験の勉強に励んだ。

 晋平の性格も幸運を呼んでいる。音楽学校で本科ピアノ科へ進むとき晋平の技術が問題になった。すると教授の幸田延(こうだのぶ)(幸田露伴の妹)が「見どころのある学生です」と進級を認めてくれたという。

 抱月も苦学の書生生活を体験していたので理解があった。晩酌の折など晋平を呼んで英語を教え、さらに海外の文芸や演劇の話をした。抱月が女優の松井須磨子と芸術座を旗揚げしたとき、トルストイ作『復活』の劇中歌の作曲が無名の晋平に任されたのも、こういう経緯があったからだ。

 大正三年(一九一四)のことである。劇中歌というのも斬新で、晋平は知恵を絞った末、歌詞に西欧風の「ラ、ラ」という合いの手を入れる『カ チューシャの唄』を作った。島村抱月、相馬御風(そうまぎょふう)作詞の「カチューシャ、可愛いや」は女優須磨子の歌声に乗り空前のヒットになった。

(掲載号:02月07日号)