週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

宝船 若松町 抜弁天

 初春の晴れた空に、富士の姿がくっきりと浮かび上がる。「富士見」は「不死身(ふじみ)」に通じるので、徳川家康は江戸の勝景を殊のほか喜んだという。

<一富士、二鷹、三茄子(なすび)>が縁起のよい初夢と言われ出したのは江戸時代からで、本来は駿河(静岡県)の名物を数え上げた諺から出たという説が有力のようである。

 江戸後期の随筆『守貞謾稿(もりさだまんこう)』には「春時 正月二日」の項に、こんな記事がある。

<今夜、宝船の絵を枕下にしきて寝るなり。(中略)京坂は、近時廃衰す。江戸は、今も(もは)ら元日二日の宵に、小民これを売り巡る>(喜田川守貞『近世風俗志』岩波文庫)

 古くは室町時代に始まった風習で、七福神や宝船を刷り込んだ紙を町の人が「お宝、お宝」と大声で売り歩いていると説明し、この年(嘉永四年=一八五一)に買った絵を掲載している。

 七福神の、にぎやかな乗合船は今もお馴染みだが、おもしろい歌が書き加えられている。<なかき(長き)よの とおのねふり(眠り)の みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな>。上から読んでも下から読んでも同じ、名調子のめでたい回文である。

 お宝売りの声は、江戸が遠ざかるとともに聞かれなくなった。一方、江戸以来の七福神参りは今も人気が高い。程よいウォーキングが時代に合っているのかも知れない。

 新宿区内の神楽坂(かぐらざか)近く、その坂上に岩戸町(いわとちょう)がある。江戸っ子が神話に因んで付けた地名である。ずばり弁天町(べんてんちょう)もある。牛込の宗参寺門前にあった弁財天付近の町だったからだが、実は、新宿山の手七福神の一つの弁天は、大久保通りの先の余丁町(よちょうまち)にある抜弁天(ぬけべんてん)(厳島神社)である。

大久保通りの途中には若松町(わかまつちょう)があり、かつて江戸城に正月の若松を切り出したのが地名の起源という。

(掲載号:12月27日号)