週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

紅葉と いえば 正燈寺

 江戸の紅葉の名所といえば南品川の名刹海晏寺(かいあんじ)が有名だが、台東区竜泉にも同寺に劣らない紅葉狩りで鳴らした寺がある。竜泉一—二十三—十一の臨済宗東陽山正燈寺(しょうとうじ)で、ひと頃は海晏寺をしのぐほどの紅葉の名所だった。

 「竜泉寺町にあり。…当寺の後園楓樹(ふうじゆ)多し。(その先山城高尾山の楓樹の苗を()ゆると云ふ)晩秋の頃は、詞人吟客こゝに群遊しその紅艶(こうえん)を賞す」

『江戸名所図会』はこう記している。だが刊行が同書の二年後の天保九年(一八三八)になる『東都歳事記』の「紅楓(もみじ)」の項には「下谷正燈寺、古しへ楓樹の名所にして…其頃はもみじとのみいへば當寺の事と心得たる程賑ひしよし。中古の諸書に見えたれど、過半枯て名所を失へり」とある。

 文政十年(一八二七)発行の『江戸名所花暦』も紅葉の名所として取り上げているものの、最近は見物を許していないが、庭に入っても敢えてとがめず、掃除がゆきとどいていないのを恥じているようだと、何か歯切れの悪い書き方をしている。そして「明和、安永の頃は、(もみじ)とたにいへは、人々正燈寺と心得たるほとに盛なりしとそ」と締めくくっている。

 同寺の紅葉は一七六四−八〇の頃が最盛期で、「紅葉」は正燈寺の代名詞みたいなものだった。ただし、正燈寺の紅葉狩りは別の目的によく利用された。

 「海晏寺真ッ赤な嘘のつきどころ」と同じで、江戸の紅葉の名所には何故か近くに遊廓があった。海晏寺の場合は品川宿だが、正燈寺には江戸一番の歓楽街・新吉原がすぐ近くに控えていた。不心得な男どもが見過ごすはずがない。

 吉原は紅葉踏み分け行く所

 しかし、女たち、特に女房ともなれば、そんなことはとっくにお見通しだった。

是がかこつけの寺さと内儀同士

(掲載号:12月13日号)